2024-03-28 老いのひとこと 楽器のようで楽器ではなさそうな得体知れない飾り物がある、多分大昔に家内が嫁入り道具として雛祭り用の置物を持参し其れが今以って茶棚に格納される。 鼓のようで鼓ではなさそうな女児の玩具のような置物を此の度は題材として遊んでみることにした。 たたらを刳り抜き四つのパーツをドべで貼り合わせるだけの一見単純そうで在って決して単純ではない脳作業に取り組んだ。 パーツ1 辺の長さが35mmの正五角形を6枚 パーツ2 辺の長さが35mmの正四角形を20枚 パーツ3 35mm×60mmの長方形を5枚 パーツ4 長さ350mmの紐を丸めた輪っ環を2個 作業手順 ➀パーツ1の4枚の夫々の一辺にパーツ2の正方形をドべで貼り付け内側に曲げる ②パーツ4の輪っ環の表と裏に➀をドべで接合する ③パーツ1の正五角形2枚とパーツ3の5枚の長方形をドべで貼り付け正五角錐を作る ④②と③をドべで接合し正五角錐に空気穴を開けて作業は完了 正五角錐の中に粘土玉を入れて土鈴にも転用させる目論見を失念してしまった、此れは大失敗だった。 延べ実働は凡そ四時間であった。 難作業を成就したので我ながらあっ晴れと云えよう。
2024-03-27 老いのひとこと 突然、息子らの取り計らいで黄頭巾にちゃんちゃんこを着せられて家内共々祭り上げられてしまった。 恥ずかしながらも傘寿と米寿の悦びに浸った果報者に違いはないが実のところは何やかやと好き放題我が儘の掛けっ放しの家内こそが祝福される身ではあるまいかと内心そう思った。 坂出勤務の一番孫と出産を控える一番孫娘は不在ながらも大阪の孫たちは厳しい部活の合間を縫って駆けつけて呉れた。 盛大な祝宴は記念すべき一枚の写真に納まったようだ、終生忘れぬ思い出の一品となった。 長男は晴れて大阪工業大学都市デザイン科に合格を果たした、長女は此の度対豪州文化親善使節としてメルボリン行きが決まり書道を通して日本文化を現地の小中生に伝授するという大役を仰せ付かってしまった。 次女は全国中学校マーチングコンテストで全国制覇の二連覇を遂げんと連日練習に励む身なのだというし三女は三女で大阪市内の小学校合唱大会で今年こそは優勝だと張り切っているという。 みな夫々自分の持ち味を発揮しようと健気に励む孫たちからも祝福されたことになる。 有り難いことです嬉しいことでした。 美味い美酒にも囲まれて大いにご満悦だった。
2024-03-25 老いのひとこと 三男坊が1985年6月14日百万石祭りの当日の朝方雷鳥の人となり上阪した。 幾霜雪を経て椅子帳工技師として大成し業界では名たる人物にまで昇りつめた。 また掛け替えのない伴侶を得て一男三女の子宝にも恵まれる幸せ者なのだ。 其の彼が家族と共に故郷に錦を飾る、僅か二日の滞在だが子らの部活動の合間を縫っての綱渡りのスケジュールだったらしい。 雲を衝く大男大女に成長した育ち盛りの孫たちは家内が作る田舎料理を満更でもなさそうにして平らげて呉れたので家内もいたって満足気だ。 さあ、明日は新調した高橋家と中川家の墓参りに同行しよう、また午後には珍しくも始めて兄弟三人そろっての山代温泉ゆきがある、わたしらも一緒に連れて行って貰うことにした。 嬉しいなあ楽しみだなあ。
2024-03-24 老いのひとこと 甲高い抜けるような槌音が鳴り響く、他人の家であれ夢と希望が混ざり合った心地よい響きが辺り一帯に響き渡る。 古式に則った棟上げ式なども現代風の工法ではもう姿を消し、最早昔話となっしまったのだろうか。 今や嘗ての其の趣きはない、細長いクレーンが空に切立ち資材を吊り上げ引き上げる、所謂プレハブ工法となってしまった。三日後には外観が整いもう既に内装の作業が始まった。 外歩きを嗜みながら高橋川に差し掛かると其の建築現場に出くわすのです。 工事の邪魔だろうと対岸の川沿いをゆく、ちょうど其の場所に倹しい二階建て集合住宅が在って其の一階の一つのちっぽけな古ぼけた日除けの簾の掛るベランダの蔭から其の家の住人がぽつねんと佇み川向こうの建築現場に虚ろな視線を投げ掛けている。 次の日にも同じような時刻に其処を通れば昨日と同じように独りのお年寄りが川向こうに目を注がれる。 やはり、虚ろな目で憂いをただよわせ対岸の新築家屋を恨めし気に羨まし気に深い諦めの情をただよわせて眺めているではないか。 何故か知らぬが此の見ず知らずの孤老の心中が我が胸中に以心伝心する。 所詮、手の届かぬ高値の花に違いなかろう、格差社会の冷酷な現実を目の当たりにした。
2024-03-23 老いのひとこと 「木を見て森を見ず」と言うではないか、超長生きする小菊を愛でた数日後に意外な発見をした。 遠目でガラスの瓶をしげしげ見れば白い髭のようなものに気付いた。 何と3センチばかりに伸びた根毛ではないか、長寿の秘訣が見えてきたのです。 水中の水分のみならず何かしら極々微量の養分をちゃっかりと摂り入れていらっしやったわけだ。 或る種のミネラル分だろうか不可思議な生命力のカラクリを教えて貰った。 根毛を伸ばし根を下ろし狭ぐるしき空間を安住の地と定めて此の一本の野菊は長きに亘り健気に活きつづける。 根強い根気強さに生物の命の尊さをまざまざと見て学んだ。 粘り強く生き抜く生命力に頭が下がる。
2024-03-22 老いのひとこと 今年の流行語大賞には「アベノリンリ」が間違いなくノミネートされるだろう、わたしはそう確信したい。 「倫理」という文字で表すには余りにも烏滸がましいのでそうしたのだと古賀茂明氏は明言する。 「モリ・カケ・サクラ」につづく「ウラガネ」政治が何の疑いもなく罷り通った。 事もあろうに、人倫に反するような政治が長きに渡り何食わぬ顔をして展開されてきた驚くべき現実に今気付かされた。 幾ら弱小野党が束になって懸かっても「悪夢の民主党政権」のレッテルを貼られたままでは身動きすら出来ずに軽く一蹴され手も足も出せずに悔しさだけを噛みしめつづけた。 ところが今此処に来て事態が急変し始めたではないか。 「アベノリンリ」政治に嚙まされ騙されつつけたバカなる人民たちが漸く事の重大さに目覚め始めたような気配が漂う。 自民党員が減少したとか自民党支持率が立憲民主党支持率に肉薄される珍現象に至ったではないか。 安倍から岸田へと継承された「国民をバカ者にする哲学」が破綻しつつあると古賀茂明さんは見事に指摘する。 加えて、先生は「日本維新の会」の化けの皮をも剥がし正体を炙り出されたようだ。 立憲共産党は恐れるに足らん、昔の此の古臭いレッテルを新しい奇抜なレッテルに貼り替え、更に懐深い案に練り上げ再出発するしかあるまい。 今度こそは真っ当な政治の夜明けに繋がることを期待したい。 古賀さんの此の卓見をみんなで後ろ押し致しましょう。
2024-03-21 老いのひとこと 素足に草履を突っ掛け氷雨そぼ降る中しょぼしょぼと行く。 後から声がする、一瞬何方かなあと戸惑ったが園林寺の住職さんに気付く。 袈裟懸けなら兎も角私服で居られるので記憶がよみがえるのに暫し間を要したが思い付いたことはまだまだ認知の程度も大丈夫そうだ。 「寒いのに大変ですなあ」「其れにしてお元気ですなあ」と労ってくださった。 お寺の住職さんから懇ろなお言葉を頂戴し些か恐縮する。 有り難さも噛みしめて有難うございます、またどうぞよろしくと笑みを湛えて一礼した。 その時、自分でも何であそこで「又どうぞよろしく」と意味不明な事を口走ってしまったのかと考えあぐねるのです。 「其の節はまたどうぞよろしく引導ください」と言う意味合いを無意識的に口に出したのか知れない。 高橋家の菩提寺は田井町の善行寺さんではあるが自宅とは至近距離の同じ真宗大谷派の園林寺があれば物理的距離的至便さを考えれば大いに迷ってしまう、何せ善行寺さんとは疎遠の極みなので猶更迷ってしまうのだ。 もうソロソロには違いはないが最終的決断はもう少し後日にしょう。 ちっちゃなちっちゃな身内だけの儀式を所望するがせめて一回だけで好いので枕元でお坊さんからの御経を戴きたいものだと内心そう思うのです。