老いのひとこと

馬替上橋から中橋にかけてツバメの観察をしながらゆけば丁度川向こうの扇台保育園に動く物体あり。

一足お先にと云わんばかりに早々と端午の節句の鯉のぼりのお出ましなのだ。

あの園長さんのご配慮であの色褪せた真鯉と緋鯉たちが泳ぎ居るではないか。

年甲斐もなくおセンチとなりむかしを思い起こす、あれは数年前までは我が家にて愛玩された鯉たちに他ならない。

 

義父良一が長男生誕に際しポール一式を祝って呉れた、爾来次男・三男そして一番孫けいたと大阪のまさの代までその都度年年歳歳五月の薫風にはためかせた大切なる家宝であった。

処が寄る年波には勝てず、屋根瓦にへばり付く設置作業が独力では敵わず、終には我が家とは縁なきガラクタと化した。

廃棄を留まり此の保育園の園長先生に里子として提供し快く受諾して貰った曰く因縁深い逸品なのだ。

色褪せねども大切に保管され園児たちの歓声を浴びるとは嬉しい限りではありませんか。

 

保育園へ葉書にてお礼の言葉を届けたが少しばかりチリハグではないか。

 

老いのひとこと

新旧所を変え配置換えのシーズンだ、万物全てが新旧交代し衣替えを果たす。

一番孫も讃岐の国から播磨の国神戸に配置替えしたし大阪の孫は晴れて大学へ進学した。

 

白蓮はあっと言う間に緑蓮と化した、ピンク色に染まった高尾の山肌も何時の間にやら若葉色に一気に変色し葉桜と為す。

 

カエデ並木の楓の小梢からは一斉に新緑の若き葉っぱが吹き出した。

また、巨大な箒を逆さ立てしたケアキの大樹はまるで穂先の小枝を労るように優先的に芽吹きを促し居るではないか。

 

更には、あのクスノキたちは老いも若きも皆々揃って珍芸を披露する。

瞬時にして新旧交代劇を見事に演舞する、落葉と新芽の若葉とが同時交代するから誰しも拍手喝采するしかないのです。

 

 

そう云えば我がマイカーのタイヤ交換未だ致さず冬タイヤのままなのだ。

それは摩耗しズベ公なのでそのまま乗り潰すだけの話なのだ。

 

そう云えば政権交代という政変に期待と込めても悪くはない。

 

 

老いのひとこと

         無断掲載

衆議院の三つの補欠選挙は何時もは旗色が芳しからざる立憲の下馬評がどうしたことか堅調で新聞各紙事もあろうに読売までもが三つ共々優勢であろうと伝えおる。

それもその筈、裏金問題で煮えくり返る此のご時勢に一番の旗振り役を立派に勤めた当然のご褒美だろうが喜ぶなんて飛んでもない。

”捕らぬ狸の皮算用“―糠喜びにでもなれば笑いもだ。

斯くなる時にこそ慎重なる自制心あるべし、自重の上に自重とすかさず辻元副代表が戒める場面には微笑ましい。

何よりも素人目に映った変事は小沢一郎議員が島根へ応援に入った事。

以前には煮え切らない泉代表に“お前なんか辞めて仕舞え”と辛辣な言葉を吐きつけた不調和音の当のご本人が随分変容された。

同じように”発信力が不十分だ“と代表の資質に不満をぶち捲いた蓮舫議員はあちらこちらで熱弁を振るう。

険悪な党内事情から柔和な協力体制が醸し出された雰囲気が何よりも有権者には安堵感を与えた。

立憲民主党の党内融和と結束度が好感を生んで補選優勢の大きな要因に繋がったような気がしてならない。

 

斯くなる上は元総理森喜朗が泥を吐くまで追及の手を緩めずに金権腐敗政治の根源を完膚なきまでも徹底糾弾し晴れ渡った美しい国に日本国を創り替えねばならない。

 

其の余勢をかって次なる総選挙で快挙を遂げ政権交代を確と手中に収めて欲しいものだ。

 

 

 

老いのひとこと

足掛け50年間、下手の横好きで竹刀を握った、矢張りどうしても左脚と左の肩を引いた半身の姿勢が正当ではなかった所為か背骨が曲がってしまった。

でも全く気にするほどでも無くむしろ剣道人の勲章であろうと軽く見過ごした。

だが此れが元で腰痛に連動し不自由さを囲って来たのは事実だろう。

今その剣道からも身を退く悲哀に身を曝すわけだがせめて正しい姿勢で人生を全う致したきものだと念じ矯正に励むことにした。

正座の時も胡坐をかく時も椅子に座るに際しても左肩を前へ出す、寝る時も意識的に左の肩を意識するようにする。

日課となった石踏み公園へ参るにしても兎に角左肩を意識し右足を退く感じで歩みを執る。

実にバカげている効果などある筈がないのに片意地を張る。

 

 

馬替上橋に差し掛かる、実に不思議だ何となく何時もの雰囲気とは異なる異変に無意識的に気付いた。

そうだイワツバメがいない、群れ飛び乱舞し川面に急降下するイワツバメたちが消え失せた。

欄干下の巣穴の卵や雛鳥たちが外敵カラスに襲われ既に撤退したのか。

昨日まで安泰だったばかりに厳しき自然の摂理に悲嘆する。

のろい足取りで馬替中橋に向かえばわたしの視界に飛来する二羽が入る、やがて三羽が数羽となるのを見届け安堵して帰路に就いた。

背筋を真っ直ぐに伸ばす姿勢は一朝一夕には参りそうにない、極めて厄介な矯正療法になりそうだ。

気休めでも好かろう左肩を前方に押し出すように頑張りましょう。

畳に寝そべりストレッチや鴨居にぶら下がり精を出しましょう。

 

 

 

老いのひとこと

背戸の金魚鉢のセフティネット上に又しても悪さをし上がる、再三再四繰り返される、憎くて手強き相手に違いない。

処が嘗ての粘質の悪臭放つ軟便ではない、不可解なことにギンナン状の固形物が未消化のまま排便される、差ほどの匂いはなさそうだ。

果たして猫どもが銀杏を好んで食べるものかとネット検索致せば猫は元より犬たちは振り向きすらしないというではないか。

摩訶不思議、ならば此れぞ何事かと更に調べれば最有力犯人はハクビシンになった、タヌキやアライグマも怪しいがギンナンを食するのはどうも此のハクビシンではなかろうか。

それにしても此の季節にギンナンは不可解だ、益々謎が深まるばかりではないか。

いずれ自然史資料館にて教えを乞うことにしょう。

 

そう云えば我が家の二階の和室の天井に不気味な沁み痕があり予てより不振を抱いたのだがまさかそうだとすれば此れ一大事だ。

好からぬ同居人と住まいを伴と致していたとは戦慄の極みだ、まさか就寝中に眼球を刳り抜かれるかも知れないぞ。

 

しかし、二人だけのわび住まいにお仲間がいたとは此れ愉快なことではないか。

 

老いのひとこと

こんな些細なことで思い悩むのも愚かしい、今年は手っ取り早くムサシで種芋を購入した。

盛んに芽吹く3k入り「男爵」に決めた、(3000g÷50g=60個)均一に50gと云いうわけにはゆくまい。

大小入り混じるので二つ切、三つ切、四つ切りにして案分せねばならない。

易しそうで結構難しい、何せ芽を二つ確保した上で50gづつに切り離すことは此れ如何に脳作業と云えど絶対に不可能だ。

思い切って適当に切断するしか無かろう。

結局、40g前後から50g前後のモノがほぼ60個仕上がったが地中にこれ等を埋め込むのが此れまた実に大層なのだ。

持病の慢性の腰痛を抱える年寄りには中腰作業は堪えがたき苦痛になる。

一つ埋めては天を仰ぎ、また一つ埋めては腰を摩り、三つ四つやっては農道に仰向けに倒れ、斯くなる単純作業を繰り返した。

労苦を厭わず躊躇わず耐え忍ぶ事にこそ充実感・充足感を味わえる醍醐味があるのです。

 

今年は芽のある部分を下向きにして植えた、何かしらメリットがあるらしい。

 

 

老いのひとこと

学園点描

其の一

むかしは小使いさんと呼んだが少しばかり失礼ではなかろうかと用務員さんに呼び名を変えたが最近では更に校務士さんと名称が改められたらしい。

思い起こせばむかしの小使いさんには人徳厚き御方が居られたもので昼間の校長先生よりも人望熱き夜の校長先生として立派に君臨為され色々人生の薫陶を授けられたものだった。

 

散歩がてらに連日、小学校の敷地に沿った道路を過ぎる、人影がない日もあるが体育の授業や休み時間に子らが戯れるのをよく見掛けたりもする。

また校務士さんが黙々と運動場で草刈り機を操作されたり側溝に潜り込んでせっせとどぶさらえに精を出されたりする。

 

ことろが或る日のこと好からぬ光景を目にしてしまった、其の日はノズルを操作されるが此れ明らかに除草剤の散布ではないか。

ものものしいゴーグル姿で保護服で身を固め盛んに薬剤を噴霧する、植え込みや小花壇の雑草を狙い撃ちされる。

児童たちの目に曝されるは事はないにしても此ればかりは戴けません。

せめて小学校の敷地内だけは聖域と致すべきではなかろうか。

少しばかり心が霞んだ。

其の二

運動場の周囲には記念植樹された代々の樹木が立ち並ぶ、或る日のこと甲高い声の主の周りに四五年生と思しき子らが一心に耳を傾ける。

耳のわるいわたしには聞き取り辛いが年若き女の先生が声を張り上げて何かしら説明される。

子らも聞き漏らすまいと真剣に耳を傾ける、中々お若いけど遣りての先生のようだ。

わたしに気付いた先生は健康そうな笑みを湛えてわたしに向かい会釈される、子らも一斉に声を揃えて「こんにちは」と反応する。

実に気持ち好い爽やかだ、この先生は大したクラス経営の主ではないか。

先生は足早に次の樹木の下へ移動すれば子らも敏捷に体を動かす様は模範授業を参観したような気持ちになった。

此れ願ってもない出来事だった。