「なぜ君は総理大臣になれないのか」を見てきた。
君は当然総理大臣になってもおかしくない立派な器の持ち主でありながらどうして君は総理大臣にはなれないのだろうか。
此の映画は其の様な命題を我らに突き付けているような気がした。
総理大臣になっても決しておかしくないこんな立派な人物が此の混迷する政界の中に間違いなく厳として存在することを大島新監督は敢えてコロナ禍で右往左往する現世に問うてきた。
そのようにわたしは勝手に判断した。
思いの外コロナの猛威は猛々しく留まることなく国内のみならず全世界をずたずたに切り裂いているではないか。
何時の日かコロナが立ち去った後の政治的収拾は今までとは全く次元の異なる政治感覚の主が自ずと登場いたそう。
その時にこそ地盤はもとより看板もカバンも持ち合わせない小川淳也のような愚直に正義感だけを貫く異質の政治家が突如求められはしまいか。
弱者の目線で多様性を知り尽くすも邪悪なものには毅然として対処する。
安倍官邸の番犬とまでは云われぬにしても飼い犬のような田崎史郎評論家と意気投合する場面には些か違和感を抱かざるを得なかったが彼が多様性を認め合う最たる例ではなかろうかと合点した。
但し小池百合子の排除の論理を名指しで激しく糾弾した姿は実に頼もしく感じた。
間違いなく一刀両断に切り捨てた。
コロナ後の政界に救世主のように此の政治家小川淳也が面目躍如たる態度で登場する姿を此の映画は予言しているように思えてならない。
願わくば最早乱心に及んだ元師匠格の前原誠司を大いに説得しなければならない。
手腕が問われと云っても過言ではない。
また是非とも立国合流工作には一肌脱いでほしいものです。
さては今宵もまた小川総理大臣就任の夢を見なくてはならない。
我が家に入る地方紙が大島新監督の此の作品を紹介する記事掲載があるのを見てほっとした。
社会面にもっと大きな活字であれば尚よいと思った。