老いのひとこと

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無知蒙昧の権化のような者がしゃしゃり出て物申すなんて見苦しい限りではないか。

艸骨(そうこつ)先生の書物から引っこ抜いた断片的知識を繋ぎ合わせて悦に入る其の浅はかさには目を被うばかりではないか。

平安から鎌倉時代に掛けて此処野々市から鶴来一帯に勢力を張った土着の地侍=加賀武士団の棟梁が外ならぬ林六郎光明なる人物であったという。

源平合戦に際し源義仲に加勢し四万の軍勢率いる平維盛を敗退へと導いた其の立役者が此の林六郎光明であったのだと説かれるのです。

同じく此の地に君臨する富樫一族をも凌駕する勢力を此の林一族が囲ったと教えられたのです。

ところが其の凡そ40年後の承久の変にて上皇側に加担した林一族に対し勝利した幕府側に味方する富樫一族が形勢を逆転し林一族は没落の一途を辿ることになったのだと云われるのです。

知気寺に建つ林家屋敷をほどなく離れた日御子に移築し其の地に光明を祀る六郎塚を設けたとの伝承がある。

先日のこと小柳から右折し日御子の集落の外れに位置する其の六郎塚を探訪して来た。

塚は既に消失し樹齢800年の杉の古木がその面影を今に留める。

身近なところに林一族の痕跡が今も残るのです。