老いのひとこと㉔

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「政鄰記」を著わした津田左近衛門正隣の弟に津田三左衛門というお方がいた。

此の三左衛門は柘植數馬家の分家柘植一平太信守家の養子になり名を柘植三左衛門と改められた。

平士350石の御馬廻で在られたが故あって次女を兄正隣家へ養女として出したという。

此の正隣家の養女のお方が津田金太郎近義の下へ嫁がれて津田清三郎近猷と津田音五郎の二子を儲けたことになる。

清三郎・音五郎の生みの母親が正隣の血をひく実弟三左衛門の娘であった事実を掴んだ。

此れは此のわたしには或る意味衝撃的出来事に違いはない。

 

野田山墓地の芝山地区の一角に清三郎近猷が父金太郎近義と母研壽院の墓石を二基建立し其の間の経緯を詳らかに碑文にの残した。

此の研壽院こそが津田正隣の血をひく弟の娘になる。

此の掛け替えのない文化財は無下にも葬り去られた。

返す返すも此の上なく残念至極であって悔やみ切れない。