老いのひとこと㉙

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     無断掲載

変なことに拘ったり意地を張る風変わりな変人が此処にいる。

正隣の養子になった佐七郎が義父正隣の次男坊正直を養子に入れた。

此の正直が津田徳方家へ養子入りし中川平膳の娘を嫁にして一女を儲けた。

此の一女が津田清三郎の弟音五郎に嫁いだと言う一連の経緯がわたくし流の定説としてわたくし自身が長い間拘り続けてきた。

処が其の定説がものの見事に覆させられたのです。

先日の事、又しても知友F氏より思いも寄らぬ新奇な資料を見せ付けられたのです。

明治3年に斯波定一なる人物が作成した由緒書だったのです。

他でもない正隣家の由緒書をF氏は何処からか探し出してくれたことになる。

本家玄蕃家がご先祖の斯波の姓に返ったと同様に正隣家も斯波の姓を名乗ることをまざまざと見せ付けられた。

それに依れば正隣の養子佐七郎正和(まさたか)が津田徳方家へ養子に入り名前を津田徳方正和と改めた。

此の徳方正和が養子に正隣の次男修理正直を入れ中川平膳の娘との間に一女を儲けた。

修理正直は本家玄蕃家の10代目当主になったので抜けた穴へ清三郎の弟音五郎が養子として入る。

音五郎は修理正直の娘を娶り正直没後名を津田内蔵助正行と改め玄蕃家11代当主に抜擢された。

従って音五郎は津田徳方正和の孫娘を正室として迎えたことになる。

戸籍上、音五郎が抜けた分へ不破彦三の弟直七郎が正式の養子として正隣家を継いだ。

兎に角複雑怪奇養子に又養子と養子のオンパレードが延々を展開された。

直七郎は本家玄蕃家に従い姓を津田から斯波へと代えた。

斯波直七郎の跡を嫡子斯波定一が継いだ。

正隣家の菩提寺は泉野の昌柳寺とある。

日蓮宗のお寺らしいが今は寺町へ移築されたのでしょうか。

一度お伺いいたさねばならない。

 

むだかりもつれた糸が今漸く解きほぐれたが正直の娘を音五郎が妻として迎えたことには間違いはなかったことになる。