老いのひとこと

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     無断掲載

中世に君臨した富樫政親が築城せし高尾城の城下に住を給わりもう40年が経とう。

朝な夕な此の高尾城址を仰ぎ見ての生活の営みになる。

城山の麓にてラジオ体操に興じ日ごとの散策の折にはいやでも高尾の山影が目に入る。

 

此の高尾城の聳える城山が突然変容を来たしたのが今から50年むかしの昭和45年(1970年)になるという。

地元の有志が精魂込めて編纂されし冊子「高尾城物語」にその間の経緯が詳述されている。

あれから早や50年と云うことは我が家の三男坊が50歳になっても決して不思議ではない。

昭和45年と云えば祭り事の主が佐藤栄作から田中角栄へバトンが移譲されまさに日本列島改造論が華々しくデビューしたその時期に符合しよう。

高速道路網という既成路線に沿い国中が突っ走った。

それ行けドンドンの相槌に呼応し北陸自動車道敷設に邁進したのです。

当地でも中西陽一知事が音頭を取りて我武者羅に土砂採掘に狂奔した。

森奥戦争に絡んで奥田敬和の名が治山社の社名と共に浮かぶ。

地元ゼネコンが躍進する時期でもあったのだろう。

富樫政親が築城せし史跡「高尾城址」も何のその何のへったくれもなしに壊滅の憂き目をみてしまった。

此の分別なき浅はか過ぎる蛮行が昭和45年11月13日の新聞にスプークされたのです。

最終的ゴーサインの捺印者が不明まま道路公団・県の高速道対策課・市の教育委員会文化財保護課が三者三様互いに責任をなすり合う泥仕合を展開したのだという。

 

斯くなる昔の騒動話しをよそに今年も高尾城址見晴らし台の千本櫻がもう直ぐ咲き誇ることでしょう