2022-01-18 老いのひとこと 終戦時小4で10歳ゆえ教育勅語と歴代天皇名の暗記暗唱の強制強要から免れたと云うもののやはり今から思えば肩身が狭い思いも重なる。 併せて同時に翌21年2月1日から始まったと云う今流行りのカムカムエイブリボデイの英語教育への手かせ足かせと云う呪縛からも免れたと云うよりもむしろ全く興味も関心もなかった。 腹が減ってそれどころではなかった。 飢餓状態から他人の弁当を掻っ攫い万引き窃盗紛いの荒んだ心情ではカムカムエブリボデイもへったくれも在ったものじゃなかった。 裕福な奴等がカムカムエイブリボデイとはしゃぎ回るのを離れて傍観するのみの御身でありました。 あれから76年が光陰矢の如く過ぎ去った。 先日の事、郵便物の中に異なるものを見付けたのです。 あの折には忌避し目を背けたあの時のあの歌のあの歌詞が舞い込んだのです。 懐かしい思いで手に取りしげしげと眺める内に思わず口遊むおのれが其処に居たではないか。 むかしの友に出逢ったように「おいらのともだちぽんぽこぽんのぽん」とかすれ声で口遊みました。 「Let‘s All Sing a Happy Song」・・・ 涙腺がゆるむ。 何の気なしに往時の昭和23年度の中1の通信簿を恐る恐る覗き見る。 案の定1学期は4(劣る)評定だがどうしたことか3学期には2(優れている)と少しは成長の記しをみたのだが何の風の吹き回しか全く記憶にない。 身長132センチ体重28キロの小躯で発奮したのかと思えばこれまた涙ぐましい。 しかし長続きはしなかったか。 やがて蕾のまま朽ち果てついにはコンプレックスという徒花となって付きまとう。 そのまま此の齢まで生き延びました。