老いのひとこと

雨上がりに背戸の草むしりに興ずれば光るもの在り。

見るまでもなくビー玉と知る。

ビー玉が地表に顔を出す、つまりは孫が我が背戸に顔を出したことになる。

 

 

思えば彼は六歳児、その当時には我が家を仮住まい中にして新居への転居を直前にした彼は何を思い付いたものかポケットのビー玉を一つひとつ丁寧に地中に埋めるではないか。

 

共に遊んだアマガエルやダンゴムシやシマミミズたちに別れを惜しんでいる。

自分の分身のような大切なビー玉をジーちゃんの家のお庭に埋めて自分の痕跡を残そうとの心積もりだったのだろう。

 

 

瞼に焼き付く鮮烈なる此の光景はわたしは今でも忘れはしない。

 

 

あれから二十年近い年月が過ぎ去り今や立派に大成した彼は植物防疫官の任務に日夜没頭する。

 

盆休みにまた顔を出してくれる前触れなのかも知れない。

きっとそう在って欲しいものだ。

その時、彼はそのビー玉を手にし、そして感慨深げにそのビー玉を眺め、再度地中奥深くに埋めて呉れることだろう。