老いのひとこと

敗戦記念日と言ったら今は亡きあの御方に白い目で睨みつけられましょう。

どうも終戦記念日と云うらしいが此のわたしにすれば敗戦記念日と言うしかない。

わたしはわたし自身の非ざるこころに敗けてしまった記念すべき年だからである。

小4の夏、疎開先の医王山小に参集し玉音放送を耳にするが皆目解せず全くの上の空。

尤も軍国少年は愚か頭からの空っぽ餓鬼坊主にすぎず専ら他人のものをかっぱらうことを生業とした。

つまり盗っ人だった。

疎開先の大瀬宅の板張りの居間の真ん中に置かれた座卓の上の御櫃の蓋を取り白米メシを右手で鷲摑みし頬張り喰らった。

あの時のあの味は今も忘れ得ぬが今わたしのこころが疼き嘆き悲しむのです。

事もあろうに2歳年下の鉄二に見張り番を立たせた事をも鮮明に思い起こす。

弟の清廉さにに比し何んと愚かしくも浅ましき人非人でありしことか。

 

わたしに執りては罪深いあやまちを改めて悔悟する記念すべき一日に違いない。

今年も其の日を迎えた。

だから戦争は真っ平御免だ、文句なしに忌み嫌う。