2022-09-28 老いのひとこと 無断掲載 物見高いお人が居たものだ、其の日の朝9時頃を見計らい近辺を物色した。 喪に服することを求めないとの松野談話が斯くも整然と徹底するものかと驚くしかない。目で見る限り弔旗も半旗も皆無であった。 小中学校・保育所・市の出張所・各個別の民家にもさては自民県議の事務所にすら無い。 此れは恐らくは午後2時を期して掲揚に至るのであろうと勘繰るしかない。 其の中で只の一か所例外が在った、とある中学校の玄関先に国旗を発見、色目気だって近寄れば半旗ではないしかも金の玉が輝いているではないか、此れには流石に目を白黒させられた。 国葬の様子をテレビ各局が競うように放映する。 山場は何時か、見せ場は何処かと探し求めたがついぞ訪れることなく儀式は終えた。 敢えて言うなら菅元総理の締めの言葉、山県有朋が伊藤博文を偲んで詠んだ短歌を引用せし折に図らずも場内に微かなる拍手が沸き起りし其の時なのであろうか。 事前には「弔意の表明を強制しない」と語られたが其の裏腹に何故かしら「弔意の表明が催促された」ように勘繰らざるを得ない。 兎に角幾度となしに大写しされた故安倍総理の遺影が其れを物語る。 故人の偉業業績が此れまた際限なく繰り返されたのも事実だろう。 事、イギリス女王の際には遺影も業績を湛える文言もなかった。 言わずと知れた自明の理として葬儀を観るもの全てには予知されていた。 本日は終始、売り込み文句に圧倒されつづけた。 それ故に「弔意の表明を催促されつづけた」だけの盛り上がりに欠ける平板的葬儀であったと言わざるを得ない。 一般献花の列と反対デモだけが目に付いた。