老いのひとこと

 
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今年の墓参は秋風立つこの時期にずれ込みました。
10時過ぎころに戸締りを済ませ実弟鉄二さんを皮切りにわたしの実家と家内の実家分に清三郎さんにもご挨拶した。
夏草を取り除きながらお線香は線香でも蚊取り線香まで持参して息子夫婦と孫たちは懇ろに手を合わせて呉れたのです。
 
折角の好天の下でのドライブで孫たちは海を見たいというので千里浜海岸まで足を延ばし波打ち際で打ち寄せるさざ波としばし戯れ合う時間を持ったのでした。
帰宅時刻が遅くなり8時近くに勝手口から家に入ったのです。
すると階段の電燈が付いているではないか。
不審に思いつつも、消し忘れだろうとスイッチを切って玄関先に足を踏み入れて唖然としてしまった。
玄関の引き戸が全開のままではないか。
完全に開き放されているではないか。
 
しまった、やばいと思った。
110番通報が脳裏を走った。
咄嗟にわたしは「友重」の所在を確認した。
ところが、在るべきところに在るではないか。
安泰ではないか。
何より、安堵する。
次いで「清秀」も「兼重」も「祐光」も全て健在であることを此の目で確認しほっと胸を撫で下ろしたのです。
もちろん、此のPCにも目を遣ったが間違いがなかった。
 
片や、家内からも通帳も銀行印も実印も大丈夫だとの叫び声。
登記簿も大丈夫の報に先ずは一安心した。
 
外出の折の戸締り最終確認は主に家内がしていたが孫たちに囲まれて遂手抜かりを生じさせてしまったのしょう。
当然ながら此のわたしに最終責任があることは否めようがない。
仮に外敵侵入により手痛い被害を被った際を想定いたせば寒気を催す。
此の際に我が家の危機管理を冷静に考えて置くべき事を痛感した。
これに懲りて再犯を繰り返すことがないよう細心の注意を怠ってはならないという貴重な教訓を得たのです。
 
五日間寝食を共にした末の孫娘はようやくにして百万ドルの得難い笑みを返してくれるようになりました。
孫たちは決して愛くるしいばかりではない時には愛くるしくはない場面にも遭遇したが居なくなると思うとやはり無性に寂しいのです。
土曜日の朝には、孫たちは「また来るね」と手を振って立ち去っていった。