大先生は時たま金沢弁丸出しで語られる。
先生はわたしに向かって「あんたハシカイ」と口走 ( ばし )られた。
実は、例の掻っ払い ( かっぱらい )同然の粘土のお話を先生に打ち明けて見たのです。
先生はすかさずあの四十万の竹藪の話なんけ、あれならわしも知っとるとおっしゃる。
そして、「あんたはしかいねー」と語られたのです。
あの粘土質の泥は精一杯揉みなさいという。
もみに揉んで水で湿らせ捏ねて捏ね捲くって最後には清酒を捧げてもう一度もんで使ってみまっしと教えて下さった。
使う前に、ヒモを焼いて収縮率を確認した方がよいという。
既成の陶土に混ぜる混合比の話もあるが何はともあれ揉みくちゃにして捏ねてみなさと云われたのです。
変な意味で大先生からお墨付きを頂いたことになる。
さっそくバケツの水を抜いて押しつぶそうとするが中々力がいる。
力ではない技ではないとやってみるがコツを掴み得ない。
汗だくだくで悪戦苦闘、30分ほどで音を上げた。
糠味噌を撹拌するような訳にはいかない。
なるほど、粘着性が徐々に生じたが素人肌にも粒子の荒さが手に取るように感じる。
先生の忠告は揉みに揉み捏ねて捏ねて捏ね捲くれであったはず、電動式攪拌機が恨めしい限りだ。
カネさえ払えば信楽陶土であれ何であれ手に入るのに貴様は余程の愚か者でドアホウだと誰かさんから揶揄されようが一向に構わない。
おのれの信ずる道を往くしかない。
決して、振り返らずに我が道を往く。
手作りの粘土で手作りの茶椀を焼き月の明かりを愛でながら一献かたむける、いいじゃないか。
しかしうまい、美味いものは旨いに決まってる。