老いのひとこと

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2週間ぶりの鶴来道場になる。


わたしの唯一の拠り所が此の日曜会稽古になる。


萎えしぼむ体力は気力で補うしかない。


処が、喜び勇んで道場の床を踏んだのだが十日間余りのブランクがやはり大きすぎた。


両の脚が力なく棒のように攣ったままで下っ腹がふやけ我が丹田は行方知らず。


へなへなと崩れ落ちるのを辛うじて踏み止まって体裁を繕うだけの在り様だ。


やばいと思う場面も在ったが小一時間の猛稽古を何とかこなした。


弁解は禁物だが老いの身をフォローする為におのれに課したノルマを十日間以上放擲したも同然になる。


ふれあいでの独り稽古、走禅も片足立禅も素振りも体よくさぼったに等しい。


その負い目が諸に現れただけではないか。


そう云っておのれを宥めすかし納得させるのに精いっぱいなのです。


ところがどうした事か、稽古後コーチャー役の先輩から


“たかはしさん、今日の打突には無理な力が入らずよかったよ。


特に、打突後の左の腰が効いていたし引き付け足もよかったよ。”


との指摘をいただき何とも不思議な気持ちに浸ったのでした。


 


暑い、汗浸し、胴着重し、でも爽快。