老いのひとこと

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お彼岸の日を逸したので春の陽気に誘われながら野田山へ足を向けてみた。


一週間ほど前のことでしょうか。


春の息吹はまだ遠く眠り扱ける。


目覚めの好いのが一本、小堀家と伊藤家にまたがる山桜が今を盛りに咲きみだる。


大自然の真っ只中、誰に媚るでもなく誰かの歓心を買うわけでもなく悠然と咲き誇る。


そんな山桜を独り占めしたわたしは何んと幸せ者か。


ただうっとりと白と青のコントラストを見上げるばかりです。


清三郎と鉚に一言交わし合掌して山を下り16番観音の辺りに来れば何時になく人だかりがする。


邦人も見えるが殆んどは異国人のようだ。


でも背の高い欧米人ではないスラブ系の方たちだろうと勘繰った。


三人のお子様を連れた中年の外国人御夫婦がわざわざ此処野田山墓地へ墓参に参られた。


ご先祖を敬う気風は世の東西を問わない。


そう云えば微かな知識でしかないが嘗ての日露戦争で囚われのロシア兵が此処金沢の地に収容され其の折に病没した兵士の精霊を此の野田山に葬ったのだと云う。


物見高く軽々しい振舞いは良くない。


声を掛けずにそっとその場を去ることにした。


そう云えば金太郎と清三郎父子の裏手にカトリック教会の墓地が一基あったはずだ。


まさかと思うが或いはひょっとして其処へ行かれるのかも知れない。


此の野田山の一角までもが随分と国際化したものです。


お天気は晴朗だが風はまだ冷たい日でした。