老いの回想記≪133≫

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その七 いばらとて 花芽つきしや 高尾台


 


 


国鉄民営化も裕次郎逝去も眼中になし


 


 


 今の世は一時も目を離すことなく各種各様の様々な情報が入り乱れ交錯し合っている。


そういう時代背景の中にわれらは存在する。


そうであるが故にプライバシーに属する裏情報や個人情報は秘密の裏ルートで伝搬力を強めながら拡散してゆくのである。


表沙汰にして吹聴され中傷された事実こそ把握してないものの風説の流布が私の身辺に強かに及んでくる兆しはいやというほど肌で感じ取ったのである。


そこにいじめの構図が見えてくるのである。


失意の形相で授業を放棄し教室を後にする老教師の後姿は誰にも見せたくはなかった。


取り分け自分の息子たちには決して見せてはいけない姿であった。


それ故に、私は校長室のドアをノックしていた。


出処進退を全て山元校長に一任した。


 


*      *      *


 


郷土が誇るメジャーリーグの有名選手の実父がわが子息へ激励の愛の書簡を送り届けた由、地方紙の紙面を飾っている。


美装された著作物が世に喧伝され華やいだ店頭に並ぶのである。


それとは裏腹に、私は私の愚息ただ一人のために書簡を送り続けた。


昭和六十二年(一九八七年)六月十四日を皮切りに欠かすことなく毎日書いた。


肉筆ではなくワープロ文に託した。


この方がこの上なく推敲に適していた。


叶っていた。


私にとってはより効率的にわが意中を浸透させることが可能であった。


毎日の投函は郵送コストが大変だ。


四五日分まとめて封書にした。


二〇〇通以上に及んでいても不思議ではない。


以心伝心、彼も一通残らず秘かに厳重保管していた。


この幾年月の歳月はわが息子を逞しく成長させた。


ものの見事に自立もした。


自立した何よりの証はかの六十億ドルプレーヤー以上の自信に満ちた素晴らしき価値ある笑顔を何時も私たちに見せてくれている姿からよくわかるのである。


今や見目麗しき、しかも素晴らしき人生の伴侶を得て一男三女の子宝にも恵まれ、わが道を堂々と闊歩している。


私たち親子を温かく見守っていただいた多くの方々に感謝したい。


ありがとうございました。


 


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 年がしらの長男は今年中学校に入学した。


 スマホを手にして上機嫌、先日はメールを送って呉れたではないか。


 小2の双子ちゃんからはよくお手紙が届く。


 よく手紙を書いた爺へ孫からのうれしいお手紙が届けばお返しを戴いた気がして何としても感無量だ。


 末子のルイちゃんがやがては雷鳥ならぬサンダーバード号に乗って金沢にやって来る日もあろうことに・・・