老いの回想記≪134≫

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その八  ブーメラン 返る内川 春いずこ


                      


 


幸福の木


 


 この植物は熱帯産であるらしい。


アフリカのギニアエチオピアに自生するリュウゼツラン科の観葉植物だという。


 木質化した茎の一部分を丸太ん棒状のままに船積みし輸出するらしい。


それを適寸に切ってさし木にすればよいのだという。


 やがて地中に根を張り、この棒状の部分に宿す養分を活力源として葉を繁らせ自活していく。


何ら気取りや粉飾もなくぶっきらぼうとした見掛けであっても、中にちゃんとした生きる基盤である生命力を宿しているところが心憎い。


 私には此の方幾年、幸福とか幸運とかラッキーとか言う言葉の温かみとか恩恵、そこからほとばしる破顔一笑することからは遠ざかったままの状態がつづく。


多分、飢えていたのだろうし、渇望していたのだろう。


 店先で思わず買い求めていた。


我が家に幸福の木が迷い込んで来たことになる。


若しかして、わが家族にも幸運をもたらしてくれるかも知れない。


秘かに期待した。


 手塩に掛けて真心で以って愛しまねばならない。


細心の注意を払って世話をした。


水遣りは控え目にして根腐りを避け、肥料も適量に抑え、冬の室温にも気をつかった。


 翌年の春にはようやく樹皮の一部分がかすかに隆起しているのに気付き子供のように胸をときめかせたのでした。


 日一日と芽が膨らみ遂に芽吹いた部分から幼き淡い緑の斑入りのちっぽけな葉っぱを目にした時はこれぞ紛れもない幸せの到来だと小躍りした。


 処がこの歓びは束の間の糠喜びとして敢え無く消え去って行ってしまった。


時間の経過と共に瑞々しい緑から精気が抜け落ち見る見るうちに乾涸びて行った。


不幸の木に変わり果ててしまった。


やっぱりわが家には縁がなかったのだ。これっぽっちの微小な希望の芽すらも捥ぎ取られて行ってしまった。


 ある意味ではショックだった。


この上なく寂しく悲しい出来事の連続だといってよい。


依然として、私たち家族には満身の笑みを称える幸せの兆しは何処にも見出すことができなかった。


幸福の木が幸福の木たる所以は、この木にただ単なる愛着を持って栽培し労わりの気持ちでいくら世話をしても何にも意味がなく、所詮はこの植物を所持する当事者が如何様に質量共に充実した幸福感を享有しているかに関わっていることに気付き始めた。


 即ち、その人がその人を含めたその人の家族間でみんな互いに信頼し合い家族愛に満ち溢れた幸せな家庭環境に在るや否やに掛かっている。


この幸福の木と言う植物は実に不可思議と言おうか何とも不可解な側面を持つのである。


 最早此処までくると捻くれた僻み根性の領域を超えて、もしかして分裂病の症状さえ呈してしまったのかも知れない。


 名実共に一家の支柱であるべきこの私が不甲斐無いばかりに私の家族は纏まりも結束もみられないちりちりばらばらの烏合の衆と化してしまったではないか。


 この様な薄幸な住人の庭先は忌み嫌われ、顧みられることがないのである。


たかが一植物にすら見捨てられてしまった。鉢植えの木にすら小馬鹿にされ突き放されてしまっている。


其れほどまでに私の罪業が罪深く人倫に反することであったのか・・・


 私の両親ともに教師であった。


従って私の長子も家業とでも言ってよい教師の道を歩まんと本人なりに勉学に勤しんだが今一歩のところで力及ばなかった。


東京の予備校で一浪生活、金沢の予備校で二浪、三年目は大阪での予備校生活にも実りなく敢え無く全てを断念してしまった。


手数の掛からぬやさしい子であった。


余りにも、気性がやさし過ぎた。


他人を押しのけて迄もして上り詰める気性ではなかった。


小学校の先生への夢破れ、進学の道をも絶たれ悄然と首をうな垂れる、もの恨めしげな後姿には親として人知れず貰い涙に暮れざる得なかった。


徹底的に運と付から見放された訳だ。


とことん、巡り会わせが悪かったのだ。良いことが一つもなかった。


私がブーメランのように再びここ内川の地に迷い込んだ頃の心境を端的に物語る出来事の一つである。


一難去ってまた一難、私たち家族は学歴社会からは完膚なきまでに放擲されてしまったことになる。


わが子たちに対し済まないことをしてしまったという強い自責の念に駆られた年でもあった。


寂しい一年であった。


私には残された気力と名のつく余力は然程もないことに気付いた。


心身ともに疲労困憊の状態ではあったけれど、息子たちに対しては駄目な親父ながらも奥歯を噛み締めながら耐え忍んでいる精一杯の姿だけでも見せて置きたかった。彼らに対し親として為してやれることは、もうこんなことしかわたしには持ち合わせはなかったのだ。