老いのひとこと

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古文書学習―3


 


浄土真宗本願寺派西本願寺は此処金沢では主流ではない。


此の地には加賀門徒と呼ばれる真宗大谷派東本願寺の勢力が重きをなす。


処が為政者つまり加賀門徒の聖地を征服した者にとってはどうしても彼らを抵抗勢力として警戒いたさねばなりません。


況してや一向一揆の拠点であった尾山御坊の跡地に造られた金沢城の城主たる征服者前田利家にすれば西本願寺に属する表末寺には或る意味警戒を解いても不思議ではない。


宛がわれた此の史料は其の間の事情を如実に現わしているように素人なりに見て取れた。


 


これは貞亨2年1685年の年に西本願寺別院の末寺である西勝寺と上宮寺の後見人である二人の僧が時の寺社奉行宛に自らの寺庵の由来や由緒や寄進の中身を書面にしたため報告した其の写しであると云う。