老いのひとこと

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無断掲載



新聞に学ぶ。


令和元年八月六日のひより欄に火曜日・赤口


広島平和記念日と小さな活字が組まれる。


家の前の小学校にも子らの姿なく閑散とす。


日教組華やかなりし頃には86日には何処も彼処も全校登校日が設定され日焼けした元気そうな笑顔があふれた。


令和の世となり昭和も遠くになりました。


もはや広島も長崎も原子爆弾も忘れ去られ何事もなかったかのようにみな白々しくもおのれ自身を欺きとおすのだろうか、否そうではない。


みなそれを了として誰も黙して語らずといえるのだろうか、否々そんな筈はない。


案の定、新聞の良識がうごめく様に動いてくれたではないか。


東京在住のMさんが広島での被爆体験の生々しさを短歌に詠まれ其れを恭しく此の世に「献歌」なされた。


朝刊に大きな活字で披露された。


 


「おかっぱの


  ()から流るる


    血しぶきに


       妹抱きて


        母は阿修羅に」


 


既に佛となった妹の亡き骸を我が母は物凄い形相で抱きしめ命を呼び戻そうと阿修羅と化した。


佛と佛を守護する神とが合体した荘厳なる御姿が何んと尊く厳粛に映ることでありましょう。


 


 


広島市長も此の歌に共鳴し共感し、いみじくもおのれの口からほとばしり声に出してしまわれた。


市長自身が日本国の先頭に立って『核廃絶』を全世界に発信して呉れた訴えて呉れた。


次世代を担う子らも瞳を見開いで叫んでくれた。


 


 


 


同じ日のコラム欄で今や労働組合運動までもが「反社会的組織」に組するかの如き恐るべき記事を目にしてしまった。


嫌な記事を目にしたものだ。


此の世が怖くなってきた。


 


音もなく静々とあの人の思惑通りに『事』が奥深くに潜行し始めたのでありましょうか。