「麒麟」に学ぶー2
相前後して光秀・秀吉らは加賀へ乱入し能美郡と江沼郡を制圧したとの記述もある。
此の戦乱の直後に拘わらず戦で負傷した部下を気遣い丁重な書状を送った。
光秀の優しい人柄が滲み出た史料だと評価されようが反面累々と幾重にも重なる幾万人もの屍が此の時代の宿命を如実に物語る。
此の書状を認めた頃に光秀には信長より丹後への出陣命令が下りることになる。
丹後出陣を前にして光秀は愛宕山の威徳院へ9月25日に書状を書いた。
其の中で光秀は信長より加賀国の代官職を仰せ付かったが何事もなく処置したと書いている。
此の夏の日の宿題としよう。
解きほぐす気力を先ずは養わねばならない。