うらなりの記《37》

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この画像はアホウドリではない。この鳥はしらけ鳥である。
” しらけ鳥  飛んでゆく  南の空へ  ミジメ ミジメ ”
この歌の文句の通り、ひと際みじめさを味わった。
せっかくの同窓会と酒宴は真っ白けにしらけてしまった。
誰一人とて、共鳴共感を受け入れるものはいなかった。
 
愚行をば、正当化できようはずがない。
やはり、裏街道を背を屈めて逃避行するしかない。
 
ところが、2011・3・11を機に開き直り人生行脚を決意した次第なのだ。
 
 
 
その三  父高橋忠勝(16)
 
 
六年三組の皆さんへ=同窓会に際しての懺悔録(下)
 
 恐らく、神も見てないと思ったのだが、ちゃんと見届けられていたのだ。誰も見てないと判断したのだけど、そうではなかったのだ。
 みんなは、それを知っていた。ただ、ひたすら貝になり口をつぐんだ。少なくとも、私の耳には聞こえなかった。許してほしい。
 この憎むべき、哀れにして愚かなこの私が、ようやくにして在らざる行いを認知し、破廉恥な非行に気付き懺悔する決意に至りました。
あなた方が今日の日まで私の決意する日を待っていてくれた寛大なる処置に喜び感謝しなくてはならない
あなた方は幾度となしにこの私を同窓会への誘ってくれた。今回も同様、幹事さんより私宛の案内状を届けられた。そのことが全てを如実に物語っているではないか
チャンス到来の日が、刻々と近付く。何かを成さねばならない。この焦燥感が、拙い紙面と相成った。お許し下さい
 皆さん方の、この寛容という名の友情に、真心でもって有り難う御座いましたと感謝できる最良の一日となるように乞い願っております。
 やっとのことで、静かに微笑みながら、ゆっくりと廻りの光景に目をやりながら、天国へ昇りつめることができそうな気がしてならない。 以上
九月一日            高橋 正純