2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

うらなりの記《28》

図らずも釣り紀行が重なってしまった。 お前さんは、余ほどの暇人なのかい、悠長なる人生を歩んで結構なことですねと皮肉られてもしようがない事かも知れない。 確かにわたしの人生の歩みの中で、お魚釣りとの関わりはないことはないかもしれない。 たまには…

老いぼれへぼ剣士の独り言

先日海里にて遊ぶ。近藤兄の誘いに応じて能登路へと走る。 「麦が浦」とはいかにもロマンを駆り立てる素敵な郷ではないか。 内海のそのまた内に面した穴水湾の一角にある鄙びた集落、隆盛を極めた頃もあったであろうが、今は戸数壱拾余り家屋が海辺に寄り添…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《27》

恐らく、仙谷由人さんは「猫の妙術」を知っていたのだろう。 佚斎樗山子が構想した題材の部分的素材は宋学に基づいてはいまいか。 ならば、中国からの先進文物が逸早く取り入れられて、そこに凝縮していたのも事実であろう。 仙谷さんは、もともと日本国の文…

老いぼれへぼ教師の回想記《27》

わたしは極めて世情に疎い存在で郵政改革とか郵政民営化問題などからっきし分らない。 分かろうとしないのかもしれない。 あの頃、あの小泉さんの手法がどうも気に入らなかったのは確かだ。 最近になって復興財源の税外収入に充てるべく政府与党内で郵政株…

うらなりの記《27》

父はなかなかの達筆であった。息子がいうのもおこがましいことだが、わたしはいつもその書体を真似て書いていたものだ。三馬小の校長先生に直々お願いしコピーして頂いたものだ。 オヤジよ、ブログとやらにあなたのことをずけずけと書いてしまったけど悪く…

老いぼれへぼ剣士の独り言

マイケル・サンデル先生の授業 超一流の先生による授業、生徒はアメリカ・中国・日本を代表するエリート中の超エリート大学生たち24名。少人数学級である。 オサマビンラデイン殺害の是非をめぐって、そこに正義があったのか無かったのか。 復讐すること…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《26》

古猫が語ったのだという。 武の真髄は人をば殺傷し攻め立てることではなく、相手と如何に対応するか泰然自若として時を待つ事なのだと語った。 物来たりなば従って応ずる。そして、痕を残さぬよう配慮することが大事だと付け加えたのだという。 現今の政府…

老いぼれへぼ教師の回想記《26》

名校長伊東平俊先生もお亡くなりになられた。いろんな意味で試練の場を与えていただいた。 あの一時ほど、与えられし課題に真摯に取り組んだことはなかったかもしれない。 我がつたない青春につかの間の充実感を味わった一時でもありました。 其の三 海原に…

うらなりの記《26》

おのれの負の遺産は極力秘め事として生きてきた。 あたりまえのこととして生きてきた。 それが今、おのれの斯くも無残な姿を吐露したとて何の意味があろう。 妻子や孫、周囲の者たちに何の意味があろう。 やはり、311の出来事が如何に日本人の生きざまに…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《25》

剣道とか剣術に生きがいを感じ日夜錬磨に明け暮れされる御仁たちが大勢いられる。 互いに切磋琢磨しながら剣技の修得に奮闘される御姿は能く拝見いたすところだが、当然なることとして心の問題としての剣理の追及にも奮励されしものと思う次第なのです。 か…

老いぼれへぼ教師の回想記《25》

其の二 紫錦台 気ままに生きて 小手試し 一九六三・七号 文集「紫錦」 私が文集に投稿した痕跡を上野正明さんが見つけてくれた。 教師は他者を見てうらやむばかりだと自分の流れは止まってしまう。 自分の成長が滞ってしまう。 他者からうらやまれるような存…

続うらなりの記《25》

孫が小学四年生か五年生の頃、昔の人たちの遊びについて思い出話しなどあれば尋ねて来るようにとの宿題があつた。 その時の書き起こし文が見つかった。 丁度自分の少年時代の出来事と重なったので掲げることとした。 川遊びをしました。犀川の河原で水泳をし…

うらなりの記《25》

断捨離という流行語を耳にする。物への執着心を断って捨てて離れ去る。 生まれ変わった生活スタイルを目指した一種の自己修行のようなものです。 いずれはあやかるつもりでいる。 目下のところは今以って収集癖旺盛でゴミ捨て場から拾って来るのです。 家内…

老いぼれへぼ剣士の独り言

孫娘と打ち合う じいちゃん、ウチの打ち痛いかという。 うん少し痛いよと返す。 大きく振りかぶって剣先が鋭く走っているから痛いんだよと付け加える。 真心を込めて真剣に打ってるので痛いのだよと加える。 振り抜いた竹刀が大きく撓って、跳ね返ったら 手…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《24》

直心影流第十五代道統者山田次郎吉、その門人大森曹玄、その弟子であられし 桐田修男氏と今日も法定を打ってきた。 わたしの好んで使う言葉、誠心誠意・一心不乱・全身全霊はこの直心影流の法定から培われた。 これこそが本物の武道なりと衷心より信奉する…

老いぼれへぼ教師の回想記《24》

父忠勝が自分名義の持ち家を手に入れたのは退職後であった。若草町に二階建ての小さき自宅を得て父共々兄弟皆で喜びを分かち合った。 それに引き替え、わたしの場合は幸運にも三十代で強引に引き入れてしまった。 時あたかも高度成長期の日本経済の雄飛と共…

うらなりの記《24》

表題を”うらなりの記”にした。我が秘め事をあからさまにして何の意味があろう。我が妻子はもとより孫たち、もちろん親類縁者にも知らしめてはいない。 三文の得にもならないし、まったく無意味そのもの。のみならず おそらく、周囲のものたちに与えるダメー…

老いぼれへぼ剣士の独り言

取れたての 枝豆うれし 情もらう 御すそ分け 枝豆うまし 御仁かな 見ず知らずの方から枝豆を頂いた。 朝の散歩の道すがら、菜園つくりに精を出される御方へ ”おはようさん”と一言お声をかけたりしていた。 作業の手に、邪魔立てせずに通り過ぎるのが常では…

老いぼれへぼ剣士の独り言

孫と打ち合いました 孫と二人きりで打ち合いました 打たせてくれてありがとうと孫がいう 打ってくれてありがとうと私がいう 打たせてくれてありがとうと私がいう 打ってくれてありがとうと孫が返す 打って打たれて気が通じ 合気となる 大きく振りかぶり 大き…

老いぼれへぼ剣士の独り言

わが魂をいかにして鎮めるか やりきれない堪らない。 布団をかぶり目を覆い耳を塞ぎたい。 何もかも失いげんなりがっかり気力喪失幻滅セリ。 これがドジョウの正体かあまりにも浅はか情けない。 自公に歩み寄りにこやかに握手こともあろうに経団連に抱擁のさ…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《23》

年甲斐もなく鈍臭いことに平気で取り組んでいるわい。 人様より嘲笑の的となっているのにお前さんはまだ気付いていないのかい。 なんともめでたい奴だと、また冷笑される。 それでもいいのです。 鈴木大拙と山田次郎吉が東京大学を舞台に一時期寝食を共にす…

老いぼれへぼ教師の回想記《23》

其の二 紫錦台 気ままに生きて 小手試し 避難訓練 長町分校にいた時の話である。夏休みを目の前に控えた物憂い気象の日の昼下がりに 高岡町 中も参画した初期消火と避難訓練があった。 学期に一回は設定された。消防法上の規定に則る行事であった。 さほど…

老いぼれへぼ剣士の独り言《下》

竹刀が撓る(2) それより先に打突と同時に審判の旗が上がっていた。 激しく動く試合の流れの中で当然なる決着点を審判員は指し示したことになる。 日本一を決するほどの大試合なら、演ずる選手はもとより裁く審判員も超一流の実力者に違いない。 然すれば…

老いぼれへぼ剣士の独り言《上》

竹刀が撓 (しな)る(1) 竹刀はとても弾力があってしなやかにたわむのです。高段者による気合篭る正面打ち打突をスローモーション映像で見れば、凄まじいばかりに39竹刀が波状に撓 (しな)り撓 (たわ)んでいるようすが見て取れる。 あたかもまさに破損寸前の…

老いぼれへぼ剣士の生い立ちの記《23》

当時は電話さえない。119番はあり得ない。 親の愛情を肌で感じ取ったので今もって憶えているのでしょうか。 時代の流れは医術の進歩を伴い、幸いなことに事わが子に関しては体験がない。 このスナップは、文中の出来事とは無関係、父の友人織田英三氏撮影…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《22》

北国文華第49号に鈴木大拙を特集している。憧憬の人物なら即刻飛びつき貪るように読み切っているはずなのに一向にその気配がない。 真実わたしは本物の大拙フアンではないのかも知れない。何を隠そう、読解力乏しきわたしには大拙先生の著作物が余りにも難…

老いぼれへぼ剣士の独り言

朝顔 そこには、ごく在り来たりの白のプランターが15個並べられ、それぞれ10株ほど植えられている。 夏の盛りには、百花斉放色とりどりの花が咲き乱れ壮観であった。 小学校の運動会のように赤勝て、白勝て、青も勝て、互いに競い合い蔓を伸ばして背競…

老いぼれへぼ教師の回想記《22》

ここには半世紀間の時の経過がある。昭和四〇年に内川中学校菊水分校は廃校となり、昭和四八年には菊水町廃町に伴い内川小学校菊水分校もなくなった。 校舎は跡形もない。 昭和三八年撮影、九〇名近い児童生徒が学んだ。窓越しに雪囲いが覗える。 其の二 紫…

老いぼれへぼ剣士の生い立ちの記《22》

曲がりなりにも我が家の家系を紐解くことが適った。 大橋源左衛門に端を発し、私の実父高橋忠勝に至った。 父は、生涯を通じて剣術とは無縁の人であった。その父へ、へぼ剣士に過ぎないこのわたくしは、このブログを恭しく捧げたいのです。 その三 父高橋忠…

老いぼれへぼ剣士の独り言

なんの変哲もない在り来たりの写真です。朝の散歩で出くわす光景です。見どころは過ぎ、花の命の儚さを知る。 ましてや、朝日は建物に遮られ差し込むことはない。 いつも日陰に咲く薄倖なる朝顔たちであった。 朝日を知らない花に不憫さを感じていた。 去る…