父はなかなかの達筆であった。息子がいうのもおこがましいことだが、わたしはいつもその書体を真似て書いていたものだ。三馬小の校長先生に直々お願いしコピーして頂いたものだ。
オヤジよ、ブログとやらにあなたのことをずけずけと書いてしまったけど悪く思わないでくださいよ。
その三 父高橋忠勝(6)
此処で暫し、父の職歴と共に記述をすすめる。明治三十三年(一九〇〇年)生まれの父忠勝は大正九年(一九二〇年)に二十歳にて石川県師範学校本科第一部を卒業し 金沢市 松が枝町尋常小学校の訓導として奉職した。初任給は四拾八円であったという。
更に、昭和二十七年(一九五二年)には 金沢市 立大浦小学校校長へと勤務校を換えた。