その2 高橋 爲(4)
長男忠勝を身籠った年に爲は勝太郎の下へ正式に嫁いだことになる。
更には、夫勝太郎が死去した昭和三年には婚姻が解消されている。往時の慣わしを知ることができるのである。
昭和十六年十一月十九日に爲ばーさんは私が少年の頃まで住いした 池田町 一番町二十七番地にて他界した。
私たち四人家族の前に二度と現れることはなかった。六十八歳であった。釋尼貞悦という二つ目の名前を付けてあげました。合掌。
野田山にて共々眠るのである。
撮影日時不明、池田町一丁目二十七番地にて父忠勝の友人 織田英三氏撮影
写真の染み抜き等の修正が思わしくなく為ばあさんの雰囲気が若干こわれてしまったようだ。