うらなりの記《69》

イメージ 1
 
 何も知らないものが知ったかぶりはよくない。
 加賀藩には藤嶋友重とか辻村兼若とか藤原清光などの名工がいたことで知られているとのこと。
 友重は、生まれは越前の藤嶋の地で京で修業し加賀に移り住んだ人だという。
 鎌倉末期の頃より江戸晩期に至るまで活躍したという。
 従って、古刀から新々刀まで幅広い逸品を残している。
 果たして、わが家の宝刀の年代は?・・・鑑定やいかに・・・
 
 
その七 友重(2)
 
 高橋家の宝刀『友重』は父忠勝が祖父勝太郎から受け継いだものに違いはない。
 それで父は昭和二十六年三月十一日の日付けで石川県教育委員会へ登録証の交付を申し出た。
祖国日本の敗戦を機にすべての刀剣類は凶器の烙印のもとGHQからの占領政策の一環として差し押さえ同然の処遇のもと、この世から姿を消してしまっていた。
処が昭和二十六年(一九五一年)サンフランシスコ講和条約が締結され、わが国が国際社会へ復帰したのと時をおなじゅうして、父は忠勝名義で届け出たわけだ。十分に納得のいくことだ。多分、戦前戦中時には登録の規制はなかったのだろうと察する。