2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《36》

老子道徳経 直木三十五はそれは夥しい数の時代小説剣豪小説を世に出していられるが、殊更剣術を嗜まれることはなかったという。文武両道には至らなかったのかもしれない。 針谷夕雲は無学文盲の身で、おそらく琥珀禅師よりエキスを注入に及んだのだろう。 …

老いぼれへぼ教師の回想記《36》

当時はカリスマ的指導力を発揮された極めて有能な教師を数多くお見受けすることができた。 その中でもとりわけ高田登志夫先生からは目を掛けていただいた。痛いほど恩義を感じていた。 ところが昨年、奥様よりの訃報に接した。不整脈が原因であまりも突然の…

うらなりの記《36》

この画像はまさに捕獲されんとするアホウドリである。 歩くのが鈍間でドン臭いので別名バカドリとも云うらしい。 最盛期の500万羽が1000羽に激減したという。 羽毛に供せられた。云うならば、立派な取り柄があった。 処が此の私には、なんの取り柄も…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《35》

まとめ(1) 2011年5月10日(火)に「下手糞老いぼれ剣士の夕雲考」を投稿以来、タイトル名を途中で「老いぼれへぼ剣士の夕雲考」へと変更致しながらも通算三十四回を数えた。 その間の一連の流れの経緯は次のようになる。 ① オバマ大統領に登場い…

老いぼれへぼ教師の回想記《35》

当時仲間同士が長沖堤防と云ってはからかったり、お前さんは入漁料は免除だとか云って談笑し合ったものだ。 激務の後の憩いと癒しの場を此処突堤は提供してくれたのでした。もちろん、英気を養う格好の場でもあった。 その三 海原で 試練乗り越え 金石中 釣…

うらなりの記《35》

盗人萩 この可憐な花に盗人萩とはこれ如何にせん。果実が こっそりと忍び寄る盗人の足跡に似るのだという。 こっそりと服に付着して こつそりと仕事をするので盗人そっくりなのだという。 命名者は、やはり牧野富太郎博士であった。 決して、真実を茶化した…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《34》

これは1958年(昭和33年)にアメリカのプリンストン大学より出版された鈴木大拙先生の『Zen and Japanese Culture』です。 478ぺージに及ぶ大著です。未だに日本語に訳されてはいません。 鈴木大拙は夕雲をどのように観察し…

老いぼれへぼ教師の回想記《34》

無謀なる暴挙に近い計画であったのかもしれない。 それが敢行に及んだことは、みなが皆『若さ』という特権を保持していた証しとなろう。 しかし、その乗船者名簿の芳名を見るにつけ大半が既にご永眠なされてしまわれたのである。 時の流れは、あっと言う間…

うらなりの記《34》

蓬 新竪町小学校の体育館の後部に肋木があった。その肋木よりはるか高くに積み上げられた干し草を今でも覚えている。 軍国少年とは程遠い存在であった。軍部の方針への反逆行為に等しかった。 顔面が吹っ飛ぶほどの鉄拳ビンタの方がよかった。体罰を受けて当…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《33》

「貧」の字を字引で調べてみると、 『貧は世界の福の神』だという。 貧乏は、返って人を発奮させ努力させて、後の幸福をもたらすもととなるのだという。 また、『貧は菩提の種、冨は輪廻の絆』だという説明もある。 すなわち、貧すれば心に執着がないので悟…

老いぼれへぼ教師の回想記《33》

薄っぺらな平板的存在であるよりも八方睨みの効く多角的視点で世の動きを捉え得る存在であるべしとの結論に至った。 ”夜の校長”を自称する輩たちとネオンの巷をよく放浪もした。 社会勉強、社会見学に精を出した。幅のある人間を目指して貪欲に学んだ。 魚…

うらなりの記《33》

このお地蔵さんは、弟鉄二が生前に自らの手で作ったものだ。 今、玄関先に鎮座し我ら一族を見守ってくれている。 弟は地蔵菩薩に姿を変え、悪業の祟りに苛まれ続けている 愚かなる此の兄貴の極道に対し救済の眼差しを届けてくれているのです。 あの時にも、…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《32》

本多の森に昨日、鈴木大拙館がオープンした。 鈴木大拙師の心と思想を学びにぜひとも伺いたい。 大拙先生は、ものごとの大小、強弱、勝敗、善悪などの 対立する概念を超えた世界に私たちが生きることこそが 願いであられたのだといわれる。 是非そこを知り…

老いぼれへぼ教師の回想記《32》

古き良き時代 失われた20年といわれる低成長期に入って久しい。 このような浮かれた話は禁句でありご法度に違いない。 不謹慎極まりないと言われてもしようがない。 古き良き時代は確かにあった。神武・岩戸・いざなぎの時代を 謳歌した世代も、最早人生の…

うらなりの記《32》

このような浅ましいことを吐露してなんの意味があろう。 このような浅ましいことを呼び戻して、そのことによって なにが得られますでしょうか。 なにもあるはずはなかろう。 わたしの根っこのもといに悪臭はなつヘドロのようながれきが 今以って永遠に生き…

老いぼれへぼ剣士の独り言

鹿島神宮武徳殿 ふれあい体育館 久しぶりに孫と共に汗を流す。 どうしたことか蒸し暑かった。 その為か、何時になく覇気なく精彩を欠いた。 祖父との二人きりのお稽古では、なおのこと止むを得まい。 お稽古が、当たり前のお勤めだと達観できるほどの腕前で…

老いぼれへぼ剣士の独り言

先日のことである。いつものように、ふれあいにて桐田氏と共に法定の形を打った。 四本目の長短一味を演ずる途中でちょっとしたハプニングがあった。 形通りに挙動が進み、左足切に来るのを左足留し、更に右足切に対し右足留し、互いに相霞(カスミ)の体勢…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《31》

野田首相は経団連会長としばしば話し合っている。 蜜月状態とはいかないまでも何かと気にかかる。 富める人たちとの、接近する度合いも必要かもしれないが、 片や一方には貧しい人たちも当然のこととして存在するのです。 野田首相の妙術がますます見ものに…

老いぼれへぼ教師の回想記《31》

そもそも麻雀なるものを中国より日本国へ紹介した人物が彼の夏目漱石さんなのだという。 戦前の頃には文化人を中心に随分隆盛を極めたらしい。 その後、戦後の復興を為し終え高度経済成長の波が打ち寄せんとした昭和60年代に入って一大麻雀ブームが押し寄…

うらなりの記《31》

食べ残し、残飯量世界一。飽食の時代を迎えた。 戦時中のあの頃とは隔世の感がする。 わたしは、あの時のことを忘れることはない。終生、忘れられない。 それ故に、同じ思いで苦しみ喘ぐ夥しい人たちへの救援の手を差し伸べねばならないのです。 処がどうし…

老いぼれへぼ剣士の独り言

いつもの朝の散歩、車道を横切ろうと左右確認し当に右足を踏み出そうとした折に、左手より1台の自転車が視界に入った。 通り過ごそうと思ったが間合い十分と判断し、わたしは愛犬と共に先に横断を試みた。 処が、背後で異様な雑言がした。 振り向くと、彼…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《30》

この写真は鈴木大拙師と何の関わりもない。これは大乗寺の冬景色である。 いよいよ鈴木大拙と針谷夕雲の相抜けの技との接点を明らかしなくてはならない。 もとより、取るに足らないど素人が意味不明な寝言のような妄言を吐いていると笑われることを覚悟の上…

老いぼれへぼ教師の回想記《30》

”酒は大関心意気”を口ずさみながら赤ちょうちんを梯子したものだ。 お酒の洗礼を受けたことも試練の一つだった。 そういえば、ここ最近呑兵衛たちの千鳥足を見受けなくなった。 みな、小奇麗に洗練されたようだ。 バブル崩壊にリーマンショック、さらに追い…

うらなりの記《30》

この画像のように低空を飛ぶB29を鮮明に捉えたわけではない。 遠い昔の頃に、池田町にあった家の前で現認したB29ははるか上空に浮かぶ鳶のような物体に映っていた。 七聯隊辺りからの高射砲が幾発か発射され音もなく白煙だけを棚引かせていた光景を今以…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《29》

掲載の写真は市立泉野図書館にて撮らせてもらったもの。500ページに及ぶボリュームである。 「猫の妙術」は428ページより435ページにかけて覗える。 残念ながら、わたしは英文は読めない。字引きを引くのも億劫だ。甚だ身勝手だ。 加えて、古文書…

老いぼれへぼ剣士の独り言

二年ぶり またノボールを 秋に打つ 縁あって 球打つ秋に 小躍りす 秋日和 好意に甘えて フルスイング 感謝の気持ちを込めて、此処に記す。 先日は、ありがとうさんでした。 宮田監督さん、沖野ピッチング兼打撃コーチさんと吉田ランニングコーチさん ありが…

老いぼれへぼ教師の回想記《29》

昭和四〇年代の通勤手段は電車かバス、自転車かバイクでマイカー通勤は極めて稀であった。 その当時、体育科の山本茂先生は驚くなかれ寺町のご自宅からランニングで出勤為された。 雪道は兎も角風雨に関わりなく敢行なられた。強靭なる体力と併せて、驚異的…

うらなりの記《29》

大八車を一緒に引いた鉄二はもういない。 あの時の果敢なくも無慈悲な思い出を語り合えるのは、 当時乳飲み子であった利治だけになってしまった。 餓えきった貪欲で獰猛な眼つきで人の道を踏み外してしまった己が不憫だ。 311を機に何もかも吐き出してし…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《28》

幕臣の山岡鉄舟は、謹慎の身の将軍慶喜が恭順の意を示していることを、官軍の総大将西郷隆盛へ伝えたい旨を、勝海舟の下に伝えた。 その海舟の手紙を携えた鉄舟は、駿府の西郷に赴き手渡した。世にいう”江戸城無血開城” 江戸市民壱百万の命と江戸のの街々が…

老いぼれへぼ剣士の独り言

同朋新聞に次のような記事があった。 年老いた農夫が鍬を一振り一振りしながら「南無阿弥陀仏」と一心に念仏を唱えていた。 その農夫は、念仏で救われないことがあるかもしれないことを知りながらも、それでも念仏を唱え続けている。 その農夫は、そのよう…