江戸市民壱百万の命と江戸のの街々が灰燼に帰すことを避けた画期的快挙に外ならない。
西郷は、この鉄舟を評して”命もいらず名もいらず官位も金もいらずというは始末に困る”といったという。
私心なき捨て身の真技は、やはり禅の極意を極め、さらに剣の極意にまで達した人ならではのことでしょう。
この海舟と一脈相通じた鉄舟が『無私無欲』の人ならば、野田総理はこの事にも意を注いでほしい。
もちろん『無私無欲』は『自己犠牲』にも相通じましょう。
己をむなしゅうして日本国のために命を尽くしてほしい。
鉄舟の佩刀、吉岡一文字の流れをくむ「家吉」は人を斬ってはいないという。
人を斬るのでなくわが身の至らぬ非ざる心を斬り裂いて日本国をよい国に導いてください。
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(8)
現に鉄舟は一刀正傳無刀流の中で次のように説いている。剣の道は人の道なのだ。先ず、心を正し身を修めることを本分とすべし。
剣技を遣うには、わが体をば全て敵に任しなさい。敵の好むところを好き勝手に打たせなさい。我が身を捨てて、自我なるものを無くしてしまいなさい。
然すれば 、迷いや曇りのない明鏡止水の心を手に入れることが出来よう。すると、この鏡のような心に敵の心と技が映し出されるのだと言う。
心で以って心を打つ。わが心で相手の心を打つ。そうすれば、心が刀となるのだ。つまり、心以外に刀というものは存在しないことになろう。ゆえに、無刀流というのだと言う。
古猫が、灰色の猫を諭したように頭の中で考え出されたような和の心ではなく、ごく自然な無為なる無心さが求められることになる。