老いぼれへぼ剣士の夕雲考《28》

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 幕臣山岡鉄舟は、謹慎の身の将軍慶喜が恭順の意を示していることを、官軍の総大将西郷隆盛へ伝えたい旨を、勝海舟の下に伝えた。
 その海舟の手紙を携えた鉄舟は、駿府の西郷に赴き手渡した。世にいう”江戸城無血開城
 江戸市民壱百万の命と江戸のの街々が灰燼に帰すことを避けた画期的快挙に外ならない。
 西郷は、この鉄舟を評して”命もいらず名もいらず官位も金もいらずというは始末に困る”といったという。
 私心なき捨て身の真技は、やはり禅の極意を極め、さらに剣の極意にまで達した人ならではのことでしょう。
 野田総理は好んで勝海舟の『正心誠意』を引用し、自分の政治姿勢の鑑にしようとしている。
 この海舟と一脈相通じた鉄舟が『無私無欲』の人ならば、野田総理はこの事にも意を注いでほしい。
 もちろん『無私無欲』は『自己犠牲』にも相通じましょう。
己をむなしゅうして日本国のために命を尽くしてほしい。
 鉄舟の佩刀、吉岡一文字の流れをくむ「家吉」は人を斬ってはいないという。
 人を斬るのでなくわが身の至らぬ非ざる心を斬り裂いて日本国をよい国に導いてください。
 
 
鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(8)
 
現に鉄舟は一刀正傳無刀流の中で次のように説いている。剣の道は人の道なのだ。先ず、心を正し身を修めることを本分とすべし。 
剣技を遣うには、わが体をば全て敵に任しなさい。敵の好むところを好き勝手に打たせなさい。我が身を捨てて、自我なるものを無くしてしまいなさい。
然すれば 、迷いや曇りのない明鏡止水の心を手に入れることが出来よう。すると、この鏡のような心に敵の心と技が映し出されるのだと言う。
心で以って心を打つ。わが心で相手の心を打つ。そうすれば、心が刀となるのだ。つまり、心以外に刀というものは存在しないことになろう。ゆえに、無刀流というのだと言う。
古猫が、灰色の猫を諭したように頭の中で考え出されたような和の心ではなく、ごく自然な無為なる無心さが求められることになる。
また、剣をとっての術技に関してはまったくの門外漢であった鈴木大拙にしても、禅の見地からもさぞかし興味をそそる魅力的な史料であったのではなかろうか。大拙も、恐らく被りつきで熟読し耽読したことだろう。