2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《49》

虎伯禅師 夕雲は、刃毀 ( はこぼ )れで砥ぎ直す手間が億劫なので刃挽きで人をぶった斬りしたほどであったのだという。 余ほど強かったのだろう。その無敵の豪傑が、何故お寺の坊さんに帰依 ( きえ )したのか。 心境の変化を来す何かがあったのだろうが、誰も…

老いぼれへぼ教師の回想記《50》

あの火災は、ベトナム戦争が終わった昭和50年(1975年)のことでした。 スマップの面々も二才か三才、香取さんは生まれてもいない。 そのスマップが平成14年(2002年)に『世界に一つだけの花』を世に出した。 競争社会を痛切に批判した。 ナン…

独り言

新撰組血風録全12巻が三日連続で放映された。 年を取ると、どうも涙腺があまくなってしまったのか始末に負えない。 誠の旗印の下、みな誠に生きた当時の若者たちに魂が揺さぶられた。 胸が張り裂け、震えぱなっしであった。 佐幕も勤皇もない。そんなこと…

うらなりの記《49》

津田玄蕃の末位ではなかったが、母としのご先祖が50人扶持とか500石取りの高給取りであるとすれば魂消る次第なり。 胸中、半信半疑ながら今少し遡求しなけばならない。意地を張ってでも遣り通さねばなるまい。 もっとも、此の事を確証する手立ては今の…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《48》

針谷夕雲は、何時何処で生まれて何年に何処で亡くなったのか、そんなことすらよく分からない人物らしい。 その道のエキスパートが詮索されるが、今以って不明らしい。 ネットで検索すれば諸説紛々出ては来るが、わたしにしたらどうでもよい。 人を斬って当…

老いぼれへぼ教師の回想記《49》

先日、クロユリGさんと一献交わした。 Gさんは、わたしのブログへの数少ない来訪者でいられると同時に、貴重なるコメンテーターのお一人でもいられる。掛け替えのないお方だ。 其のGさんは、恰も天女のように天空を舞い、深海の海底を彷徨いサンゴに頬擦…

うらなりの記《48》

寺町妙典寺山門 母方の御先祖に津田玄蕃がいたのだという。とんでもない言い伝えであったようだ。 それは、根も葉もない妄想ごとき幻想として物の見事に潰え去った。 処が、奇しくも此の玄蕃の時代に同じく前田の殿様に仕官する同姓の一人の人物がクローズア…

独り言

昨日は市連稽古納め、年甲斐もなく顔を出す。 年寄りの冷や水と言われぬよう、姑息な小技を戒めて足から前へ突き進む打ちだけをおのれに言い聞かせた。 元太刀の前に並ぶ長蛇の列を掻い潜り、要領よく振る舞うには少々の図々しさと勇気が要る。 先ずは、N…

老いぼれ剣士の夕雲考《47》

オバマさんと夕雲さんを結び付ける荒唐無稽なおねんねのような発想、笑わば笑ってください。わたしは一向に構いはしない。 なんと云っても、あの鮮烈なデビュー当時の熱気は今はない。 幻滅感のみが一人歩きする。 やはり、オバマさんはオサマビンラデンの…

老いぼれへぼ教師の回想記《48》

愛知県と言えば「管理教育」の雄として名にし負う存在であった。 泣く子も黙るスパルタ教育発祥の地として名を留めた。 子どもの個性を抹殺し、画一化に邁進した愛知県教育の真っ只中に於いて、此の緒川小学校が殊更異色を放つ存在として脚光を浴びたのだろ…

うらなりの記《47》

からっきし法律のことは分からぬのだが、その人が死亡すれば戸籍から除外(除籍)され、さらに八十年経過すれば日本国籍を剥奪されるのだという。 その人の意思に関わりなく日本国籍を失う。 つまり、戸籍上は日本人でなくなってしまうという事です。 何と…

老いぼれ剣士の夕雲考《46》

剣の道を窮めたわけでもなく実に生半可な覚束なき存在が、恐れ多くも『夕雲流剣術書』に挑戦を試みてしまった。 至らぬままに唯いたずらに年月を要してしまっている。 愈々本題に入るに際して、今少し針谷夕雲の人となりと小出切一雲の人となりについて記述…

老いぼれへぼ教師の回想記《47》

入海神社所蔵の名刀正宗 表銘 元和三年丁巳 正宗 裏銘 尾張国知多郡緒川住人都築忠兵衛 愛知県東浦町は知多半島の付け根に位置する人口五万足らずの小都市である。 観光スポットは入海神社と入海 (いりみ)貝塚遺跡らしいが余り聞きなれない。 巨峰ブドウが特…

独り言

これも先日、とても変わった新聞記事にお目に掛かった。 小学低学年の娘が学校でいじめに会っていると父親に告げた。 すると、その父親はある日娘の学校に赴き、教室内に乱入し加害者とおぼしき男児をぶん殴り軽傷に及んだのだという。 此の一件に関し、教…

独り言

また体罰の記事がおどる。 ご多分に洩れず、学校長は謝罪し教委は遺憾の意を表した。 当該教諭の処分を検討中とある。 活字の裏には、恐らくモンスターペアレントの要素が隠れてはいまいか。 記事からは、其れは覗い知ることはできなかった。 授業中、立ち歩…

うらなりの記《46》

兼六公園の旧津田玄蕃邸 前田家の五代藩主に綱紀がいる。 この綱紀の家老職に津田玄蕃がいた。 私の母としは津田家から忠勝の下へ嫁いでいる。 母としの妹筋の光枝おばさんから津田家の御先祖は玄蕃さんなのだとよく聞かされた。 些か馬鹿げている。 何の根…

独り言

一日一日が坦々と過ぎ行く。 昨日は絶好の小春日和、タイヤ交換を思いつき取り掛かる。 人様の手を煩わせることなく、この作業はセルフサービスで熟して (こなして)きた。 近年は、寄る年波と共にタイヤとスチール製のホイルの重量はままならず難儀せざるを…

独り言

法定の形、一本目八相発破と三本目右轉左轉の一連の動きの中に『諸腕』がある。 打太刀は、両足を八文字に踏み締め体を落とす。 木剣の刃を左に両手たなごころを上に両肘は体側に添えて脇を絞める。目線は仕太刀へ注ぐ。 仕太刀は、目線を打太刀から外すこ…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《45》

本来無一物 数日前に、変わった封書が届いた。封がない封書でした。 そこには、ケニア国の難民収容所で国連職員の一人として勤務される箱﨑律香さんから、辛うじて生きている難民たちの生々しい惨状が綴られていた。 ダダーブキャンプでの、死と隣り合わせ…

老いぼれへぼ教師の回想記《46》

廊下を磨き、道場を磨く。 心を磨き、心の力を育てる。 <日本を美しくする会>を首謀される ユニークな経営者鍵山秀三郎氏に他ならない。 イエローハットの創業者でもあられ、「掃除道」の名付け親でいられる。 グローバル化した「掃除道」は「武道」同様…

うらなりの記《45》

父忠勝 父はその道の頂きを極め勲五等瑞宝章の栄誉を得た。 わたくしには、その父と肩を並べる当ては何処にもない。 考えあぐんだ末に、異様なる思い付きに辿りついた。検体なのである。 我が五体を提供して一枚の紙片に在り付きたいと願った次第なり。 馬鹿…

独り言

ダダール難民キャンプ 箱﨑さんはケニアの生々しい惨状を訴えられた。 旱魃に伴う大飢饉や部族間抗争が年毎に不条理にも襲い掛かる現状を解説された。 夥しい数の難民たちが苦難に耐え忍んでいる。 でもこれは、アフリカだけに限らない。 もはや地球規模で人…

独り言

この封筒は紙袋ではありません 故にすなわち紙袋なのであります UNHCRは国連難民高等弁務官事務所の頭文字です。 アフリカのケニアに事務所があって、そこで渉外担当官をなさる箱﨑律香さんから先日メール便が届いた。 封筒というゴミを送らないエコを…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《44》

この画像は平間理子氏とは直接関係はありません 2011年10月21日の放映されたBSフジ プライムニュースは作家曽野綾子さんが修道士平間理子さんと共に、“本当の貧困を知らない日本人に対しいろいろと語りかける”内容のものでした。 些か、唐突で無…

老いぼれへぼ教師の回想記《45》

今日も綴ります。 七十余年の足跡は打ち寄せる波に打ち消され瞬時にして跡形もない。 わたしは愚かにも我が消えゆく姿をデジカメに撮りブログ化しハードデスクに取り込む。 あくせくとむなしく誰からも一顧だにされない負の知的財産をば営々と積み上げるの…

独り言

一億二千万人の中の一人がわたし、わたしの他に数人多くて10数人、たまにめずらしい時もあるが概して少ない。 嫌気のプンプンする自分色濃厚な、つまり単なる自慢話を意味不明な表現で見せつけられれば誰しもそっぽを向くことだろう。 にもかからわず、そ…

独り言

尚道館日曜会より 以前と変わらず、愚直なまでも一本気を貫き通す。 只ひたすら、切り返しと正面打ちが延々として続く。 塾頭からの合図が待ち遠しいのは年齢のせいであろうか。 押しなべてみな大技で来る。姑息な技は禁則だ。 わたしは、構えた姿勢のまま…

独り言

昨日も六水会は一人稽古、鏡相手に小一時間居合抜く。 一本目袴捌きから左ひざ着床の折、微かながらも音を聞いてしまった。まずい。 また、右足引いて納刀姿勢に入り、体を沈めながら右ひざ着床の折幾度かコツンと音らしきもの体感した。これまた、まずい。…

独り言

「いじめ苦は間違い」北国新聞の社会面の見出しに目が行った。 自宅で首を吊ってしまった中学生の父親が手記を公けにしたのだという。 通常見慣れた現象は、親ならば直ちに逆上し声高に外部への責任追及になる。 いつも学校の指導体制が問題になる。 処が、…

うらなりの記《44》

わが父は余りにも偉大なる存在であった。いつも、負い目引け目に感じながら、なぜかしら畏敬の念をいだきつつも、寄り添わざるをえなかった。 ある意味では怖かった。正直云って、自分は父のようにはなりたくないという意識が常に働いた。 いつも、三尺下が…