老いぼれへぼ教師の回想記《48》

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 愛知県と言えば「管理教育」の雄として名にし負う存在であった。
 泣く子も黙るスパルタ教育発祥の地として名を留めた。
 子どもの個性を抹殺し、画一化に邁進した愛知県教育の真っ只中に於いて、此の緒川小学校が殊更異色を放つ存在として脚光を浴びたのだろう。
 個々人の学習能力に応じた個別化された指導と個々人の学習への興味関心に応じた個性化された指導、この相容れない両者を融合させたのだから核融合以上に至難の技であったろう。
 時間帯によって管理されることのないノーチャイム制の先進校でもあった。
 
 その四 鳴中や 通り過ぎたり 駆け足で(9)
 
プリント学習=その2

 
 
  在職中にもノーチャイムデーという日が取って付けたようにあったが、いかにももっともらしくて泥臭さが拭えなかった。
 ところが此処では洗練されている。定着している。
 教師によって管理される教育を都会的センスで、ものの見事に否定し去っている。
 それもそのはず、私が当校を訪問した当日には二四四五名の参加者があったという。
 四七都道府県中一名の参加者をも数えなかった府県はわずか一県のみであったというのだから、おのずと生徒たちも心得ていたのか知らぬが、実に板についていた。洗練されているはずだ。
 何よりも驚いたのは『自学』と称する学習形態だ。学年の枠も取っ払ってしまう。生徒たちへは難易度順に細分された課題がプリントされている。
 学年の枠にとらわれることなく自分にあったレベルの課題にチャレンジする。
 理解度をチェックする小テストで自分のつまずきを知る。
 問題は、此処が最重要でつまずいたよく分からないところをカセットテープで確かめ調べる。
 教科書や参考書で調べる。生徒同士の助け合い学習をする。
 インターネットで検索する。これらの方法で自らが自らの手で再学習をするのである。