2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

老いぼれへぼ教師の回想記《13》

若かりしころ、大人社会の戸口に立ちおっかなびっくり中を覗き込んだ思い出話である。 ほろ酔い加減を知らされ、またほろ苦き酒の味を知らされたときでもあった。 終生の友との付き合いは長いが最近はめっきり量が減ってしまった。 いわなと水浴び 岩魚ほど…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

青梅錬心館故荻野弘先生を偲んで 人物評はおっかなくてできない。またできるような分際でもない。 故人なるがゆえに敢えて斯くなる手段にて公表させていただいた。ご容赦あれ。 青梅錬心館故荻野弘教士七段は熱意溢れる、しかも気前のいい先生だった。 とは…

下手糞老いぼれ剣士のルーツ《13》

たかが足軽分際で我が家の家系なんて言っても実におこがましい限りではあるが、そこは何と言おうか、やはり其処には士分の一分を守り通すための涙ぐましき悲話が秘められているはずだと推察はする。 でも推察の域は出ない。なぜならば、その間の記録はない。…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

マイケル・ジャクソンの命日に因んで わたしはマイケル・ジャクソンについてなにも知らない。 益してや、ガッパになって陶酔するほどのフアンでは元よりない。 一時は、醜聞に近いゴシック記事に惑わされたりもした。 でも、何故かしらテレビの画面には惹き…

下手糞老いぼれ剣士の息抜き

十年一昔 十年一昔 あっと言う間 今も昔も変わりなし 投げたボールをキャッチして 大きなグラブが笑ってる 青いお空も笑ってる シュートボールをキャッチして ゴールキーパーよくやった グリーンの芝生も笑ってる 先生のお話キャッチして お目目とお耳でよく…

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《12》

青梅錬心館でご活躍なされた故荻野弘先生より頂戴した小川忠太郎述「剣と禅」はわたしの愛蔵本になっている。 此の本のもとを辿れば、明治の初めに鉄舟、海舟、泥舟らが在家の者でも禅を学ぼうと円覚寺の老師をお招きして両忘会なる組織をお作りになった事に…

老いぼれへぼ教師の回想記《12》

幅を利かすことに長けたサイベこと中西政雄が水淵家へ婿入りし芳子とめおとと相成った。 とにかく世話好きで世間様に対し如才なく立ち振る舞っていた。地域の学童野球チームを率いて監督業にも専念していた。 ところが政雄は男盛りのさ中に夭逝してしもうた…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

伊達直人と菅直人 些かどころかずいぶん旧聞に属するエピソードで恐縮だが、四月の初旬の頃菅総理が被災地の瓦礫の中より見出した一個のランドセルをみて、口にした言葉が「これはなんとか直人さんからのものかもしれないね」と冗談をはさんだ記事がありまし…

下手糞老いぼれ剣士のルーツ《12》

歴史上の高橋家と松井家は政之丞こと精路を介して間切れなく癒合した事は真実なのだ。 他家の血脈を暴くことは決して本意とはしないのだが必要上止む無く調べさせていただいた。 当然のことながら、松井家の御当主松井彰氏の承諾の元なるは言を俟たない。 そ…

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《11》

直木三十五は「剣法夜話」の中では夕雲流剣術の相抜けには触れられていない。 でも、直木氏は、夕雲は文盲の人とはいえ琥珀禅師より老子思想の何たるかを学習していた程の人物なのだと高く評価している。 此れはわたしの稚拙な私見に過ぎないが、尖閣問題で…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

毛色の違う異質の存在物を排除排斥するのは、何もおサルや犬たちだけではない。 人間だって同じ事のようだ。超エリート校で学問を修めようが、見識深きその道の第一人者といわれるお人たちであろうが皆同じなのです。 その人の善意でもってみんなのため公共…

老いぼれへぼ教師の回想記《11》

昔、小学生のころお前の絵には天才的素養があるとそそのかされ画家滝川武雄先生の自宅へ赴き特訓を施された。 今で言う家庭教師に当たる。ところが一ヶ月も経たぬうちに先生から、あなたの絵は色覚異常者の絵なので個性的なのだとご指摘を受けてしまった記憶…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

排斥と排除の論理が横行している。右を向いても左を向いても世の中こぞって、新聞もテレビも朝から晩まで菅さん排除と排斥のニュースに明け暮れしている。 お猿さんによく似たお顔のお二人さんがお顔を真っ赤にて菅様の悪口をわめき立てている。 良識をタク…

下手糞老いぼれ剣士のルーツ《11》

切米20俵は石換算で8石になる。1俵は重さにして約60キログラム、市価にして約2万円だから掛ける20で年収40万円となる。 物価水準が異なるとはいえ10キログラム入りの米袋を120袋で1年間の生活を賄ったことになる。大たい想像がつく。 子ど…

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《10》

直木三十五氏は昭和9年に43歳の若さでこの世を去った。結核性脳膜炎だったという。 実に夥しい数の著作物の中で何故かしら一際「剣法夜話」に惹かれた。 此れは昭和30年に世に出た。没後20年空白の期間について市立泉野図書館、県立図書館、更には金…

老いぼれへぼ教師の回想記《10》

集落挙げての一大イベントであった。原始の血が滾った。青春の血が躍った。 偉大なる大自然へのちっぽけなる人間が有りっ丈の力を結集して挑戦を試みた貴重なる人間の記録だ。 さぞかし、現代ならカメラの放列で報道各社の取材隊でごった返したことであろう…

下手糞老いぼれ剣士のルーツ《10》

たかが切米二十俵と言うささやかなる足軽家にしろ高橋の姓を死にもの狂いで死守した高橋金之丞と、此の高橋家へ婿養子として入籍した松井政之丞こと高橋政之丞がお家断絶という最悪の事態を回避してくれたことになるのだ。 なるほど、岐阜大垣城主の家老職を…

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《9》

高木健夫の「二十四人の剣客」の中には夕雲の名はない。上泉から三代下った鹿島神傳直心陰流第四代道統者を名乗る小笠原玄信斎の弟子の一人としてわずか二十数行の取り扱いで紹介されているに過ぎない。 況してや、「相抜け」の極意には一切一言も触れられた…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

二人の孫たちとお稽古が出来た。 今日は最良の日なり。天の与えし回合に感謝する。 見栄えよく立ち振る舞うことも大事だが兄妹共々面を被り打ち合うことに大きな意義があった。 これ程、無上の喜びを感じ取ったことはない。 これ程の果報者はどこに居ようこ…

老いぼれへぼ教師の回想記《9》

戦後の一億総飢餓時代には日本人は一丸となって血眼になって働いた。 日本人は腹いっぱいに飯を食いたいという共通目標で一つにまとまっていた。 ところがどうしたことか、機械化が進み米余り時代へ急激に突入した。 作付けが制限され、休耕田が国土を覆った…

下手糞老いぼれ剣士のルーツ《9》

曲がりなりにも、大橋源左衛門から大橋金之丞まで続いた大橋家の血統が、吾らが高橋家に引き継がれた。 かろうじて辿りついた感がしないでもないが、その矢先に吾らが金之丞には不運にも実子に恵まれることが無かった。 この足軽風情とは言えどもお家断絶の…

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《8》

甲野善紀は夕雲をどのように観察し評価したか=その2 現代の論客甲野善紀は無住心剣の針谷夕雲を物の見事に切り捨てた。完膚なきまで打ちのめし論破された。 剣の術技が伴わない心法だけの剣術は根無し草同然世に定着するは難し、いかに鈴木大拙が肯おうが…

老いぼれへぼ教師の回想記《8》

なんともヤクチャモナイ無茶苦茶なことを為したことか。 どちらかといえば昔から決して蛮カラ風ではない。至って繊細で気の小さい成り立ちなのですが、当時は何ともヤクチャモナイ無茶苦茶なのとをしてしまったことか穴があれば入りたい。シマベビさんのよう…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

昨夜の教育テレビETVで知の巨人梅棹忠夫のことを特集していた。 目からうろこが落つる思いで見入った。強く感銘し、共感を覚えた。 一方、何にも知らないおのれに、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。 アメーバのような単細胞の貧弱な頭脳には難し…

下手糞老いぼれ剣士のルーツ《8》

急転直下に奈落のどん底へ落ち込んだのでないが三千石の家老職から切米二十俵の足軽分際にまで零落してしまった。 凋落の一途を辿ってしまった。 その間二百五十年の無常なる年月の流れがあった。抗し切れない時代の摂理が働いたのだ。 そこには何ら歴史の必…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

政局と ブログにはまり 齷齪す 些かやけくそ気味自嘲気味 またまた菅降ろし劇が再開されたと朝刊が報じる。 そして、あの亡者如き例の二人が暗躍し始めたという。 あの六月二日のお昼時醸し出された党内融和の絶妙のハーモニーは今何処。何処へ行ってしまっ…

下手糞老いぼれ剣士の独り言

菅さんあなたはまずいです。 先ほどは贔屓目にあなたを評したが これでは余りにも往生際が悪過ぎはしませんか。 原発終息を一定の目途とするやに今日の国会答弁でなさったようだ。一体何時になるのですか。 居座り宣告ですか。居直り戦術は以っての外です。 …

下手糞老いぼれ剣士の独り言

今日の新聞もテレビも寄ってたかって菅直人を袋叩きしている。 この際、判官贔屓といきましょう。菅総理は歴史に残る名宰相とはいかないにしても歴史に残る宰相であったと言わしむるには我等はどうあるべきなのでしょうか。 不信任決議は大差で否決された。 …

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《7》

本日午後には不信任決議が決着しよう。共産・社民両党は棄権を報じていた。 天晴れかな、相抜けの業をわれらによくぞ披露した。 此のドタバタ劇を夕雲は墓場の陰で嘆いている。相も変わらず畜生剣法に明け暮れする愚か者めがと一喝しているではないか。 ムー…

老いぼれへぼ教師の回想記《7》

昼間は公人として職務に携わるは当然なら、勤務時間を外れればこれまた当然のこととしてみな私人と化す。 聖職者如き存在とは随分掛け離れた低俗なる凡人に違いはない。少なくとも此のわたしに限っては間違いのないことであった。 当時保育所とわたしたちの…