下手糞老いぼれ剣士のルーツ《11》

切米20俵は石換算で8石になる。1俵は重さにして約60キログラム、市価にして約2万円だから掛ける20で年収40万円となる。
物価水準が異なるとはいえ10キログラム入りの米袋を120袋で1年間の生活を賄ったことになる。大たい想像がつく。
子どものいない高橋金之丞のもとへ松井政之丞は養子入りした。名を高橋政之丞と改めるが嫁をもらう時にもう一度名を高橋精路を改めた。
わたしはわたしのヒイジイサンの生家松井家の正体に辿りついた。そして、その末裔に当たる松井彰氏とも直々に面会を果たし杯を交わした・・・ 







高橋精路の養父は高橋金之丞であり、実父は松井茂右衛門となる。高橋家の由緒書によれば松井茂右衛門は前田家の足軽大組頭であった山森雄次郎に組する足軽小頭の地位にあったと説明している。
実はこの松井茂右衛門を確認するべく金沢市立玉川図書館内の近世史料館にて照会を試みてみた。
運よく、松井家の由緒書に遭遇できた。奥まった書庫から所蔵されていた物件を暫時、閲覧することを許されたのだ。
高橋・松井両家の由緒書の内容は大筋で見事合致した。
松井家由緒書より松井家の檀那寺が本法寺であることを確認した上で返却した。収穫ありきの感触を得た。
後日、山ノ上町の本法寺にて荒清住職を尋ね過去帳の精査を願い出た。本来なら唐突なる来訪者への応対には拒絶を旨とするとのけんもほろろなる前置きの後、おもむろに審査戴いた訳だ。      
当該住職より、当方の思惑通りの説明を受け大いに納得したのだった。
のみならず、松井茂右衛門及び三男松井政之丞の子孫が現に金沢市春日町に在住されることまで完璧に近い情報を得た次第なのだ。
後日、実に信心深い日蓮宗の信徒でいられる松井彰氏ご本人に本法寺の本堂にて荒清住職立会いの下でお目通り戴いた。
松井家のご家族が挙って法華経に帰依され生活の中に篤い信仰心が溶け込んでいられるようすを直に窺がったことになる。ただただ、感服するのみであった。つづく