2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

うらなりの記《105》

⑪私の腕の中の母も安らぎの安堵の色を子供のような表情で精一杯表しながら、いかにも満足そうであった。 母と子だけの一時だった。 三ヵ月後の十一月十四日月曜日の朝方、下宿先に電報が舞い込んだ。『ハハキトクスグカエレチチ』予期したこととはいえ悲劇…

老いぼれの独り言

ぶつぶつ言って物々交換した。 十年ももっと昔に、家内と共に相乗りしようと折り畳み式自転車を二台買い求めた。 大和明日香路を一度試みたが、乗り心地にいまいち問題があって、その後は物置に放置したままにした。 厄介者のお荷物として、その処分に困っ…

老いぼれ剣士の夕雲考《103》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(29) 針谷夕雲の遺志を継ぐ ㉒【同志舊友時々需めて止まず默止する事あたはずして一二人も手引すと云ども緣に觸れてひたすら多くなり卅人に及べり、其中に性根の器用に依てか、自分の勝に本づき、他流の畜生兵法をばいか樣に…

老いぼれ教師の回想記《106》

その五 挑戦と試練挫折の河北台(続) 雑感=その7 ⑦内灘砂丘に延々とニセアカシアの樹林が広がる。 甘い安らぎの香りに魅せられたり癒しされたりもした。 ただ和名をはりえんじゅ=針槐樹と書き表すらしい。 まさにわれは此の針のような棘で竹箆返しを受…

老いぼれの愛犬日記《16》

⑯ 9月3日月曜夕刻高安軒へ赴きりりの遺骨をおもむろに納骨壺に収める。 不注意にも原形をとどめる頭蓋骨を打ち砕いてしまった。 生前のりりの頭部に間違いがない。苦しむさ中擦りつづけたりりのあの小さな可愛い頭に違いない。 あの憎むべき腫瘍の患部が増…

老いぼれの独り言

無人の体育館をひた走る。 走るというより軽いジョギングに過ぎない。 終始マイペースで小半時の行である。 ここのところ週に二日間と回数は減ったものの意地糞を張るわが身の姿が醜い。 貪欲に我執を貫き立てる姿は可愛げがない。 こんな事でも仕出かさな…

老いぼれの独り言

ラジオから「旅愁」のメロデーがながれている。 絶好の秋日和だというのに、侘びしき思いがわたしをよぎる。 それが当たり前だと云い聞かせても、ままならぬわが身にいらだちがつのる。 分相応にひかえめに望みを託すが、ことごとく潰え去る。 おのれの知ら…

老いぼれの弓事始め《18》

⑯ 致命的欠陥足り得る 何も解らぬまま遮二無二巻き藁を射抜いていたのだが、わが矢の飛ぶ軌跡は目には定かではないが巻藁部へ垂直に打ち込まれた例がないのだ。 真っ直ぐに一直線に入らない。ストレートな直球ではない。 ナチュラルカーブと云おうか矢すじ…

老いぼれの中国紀行《8》

土産の品には300元のこのような民芸品も 中国紀行 ⑧ 先回の筏師たちが演じた激突行為の当事者は広西壮族自治区の少数民族の人たちであった。 彼らが無心で演ずる我武者羅にしてかつ真摯で健気な姿からは実に崇高な気高さえ感じ取り、思わず生き仏を見るが…

老いぼれの形稽古《23》

小太刀の二本目=その1 仕太刀は刃の向きを斜め右下から下向きへ変化させ、打太刀の刀を制しながら入身になろうとする。 それを見た打太刀は透かさずに右足退いて脇構えとなる。 脇構えに変化した打太刀を見た仕太刀は間髪を入れずに入身で一歩攻め入る。 …

雑草園顛末記《18》

⑱ 植え付け準備完了 9月十日月曜、朝一番に巻き藁の前で一時間強稽古に専念す。 帰宅後農作業に入る。地面が固く強張って鍬の刃がまるで利かない。 スコップで掘り起こすしかない。それもスコップの縁に全体重を掛け踏み付けねばならない。 そして、渾身の…

老いぼれの独り言

また年若き学生さんが死を選んだ。 死のダイビングと云う最悪の結末であった。 学校への放火でもなければ対教師暴力でもない。 益してや弱者へのいじめ行為でもない。 白昼に堂々と、衆目の前での決死の行為を決意した。 それも己の学び舎のわが教室から、…

うらなりの記《104》

⑩枯れ木のように痩せ細った母ではあったが無性に愛おしく感じた。 それ以上にいかんともし難い深い悲しみに胸が張り裂けた。 既に全身に転移し頭蓋骨の頭頂部にまで腫瘍が拡大し、この病特有の形容し難き激痛に四六時中晒される身でありながら、母は耐えに…

老いぼれの独り言

10月16日、近藤兄と能登路を走り秋日和を満喫す。 その折詠んだ七言七句ですが、ハイカラ気取りの気障っぽい厭なヤツなのですよ。 ● ドライブの 窓に飛び込む キンモクセイ ● 小木に来て 磯の香ゆかし 秋の風 ● 海原に すさぶ白波 初あらし ● 北東の 風…

老いぼれ剣士の夕雲考《102》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(28) 針谷夕雲の遺志を継ぐ ㉑【予更に兵法を取廣むる心なく、只日夜に其理をたのしみて自己の飢寒を忘れ、卅九歳の時に深川に退去して姓名を改め、深く兵術を秘めあらはさず、年月を送るの所に、】 口語訳 当時の私は、更に…

老いぼれ教師の回想記《105》

⑥掲示の記念式典時における例示ではないのだが通常の全校集会においてである。 卑近な例として校長訓話の最中ですら私語が絶えないにもかかわらず何ら諭しの言葉すらない。 彼らには公然と許容された特権と受け取り、それが日常化していても対応がないに等…

老いぼれの愛犬日記《15》

⑮ わたしの日課 5時過ぎに新聞受けへ行き、トイレにしゃがみ目を通す。 もはや政治の動きにも関心は薄れ無頓着になってしまった。 精々死亡広告欄とは情けない。 りりを連れ出し、というよりりりに催促されて朝の散歩へとお出掛けと相成る。 往路横川町橋ま…

老いぼれの弓事始め《17》

⑮ 9月6日道場へ赴く。愛犬の看病から最期を見届ける間しばしの疎遠であった。 相変わらず、巻き藁の前に立ちもっぱら基本に終始する。 気取ることなく伝授された基本技を念頭に只々繰り返すのみ。 わたしの性分からして、勿体ぶったり益してや知ったかぶり…

老いぼれの中国紀行《7》

中国紀行 ⑦ 観光立国を自負するお国柄からして、この際の尖閣国有化に伴う悶着は痛かろう。 当てにしていた国慶節観光客が挙ってキャンセルしてしまったという。 片や、小松~上海便の週5便の増便案は来春までお預けとなったのだという。 更には富山~北京に…

老いぼれの形稽古《22》

小太刀一本目=その2 受流すと同時に体は右に開き自ずと右足前、左足後ろに引付ける体勢で打太刀の頭部を間髪入れずに打ち砕く。 小太刀の手の内は小指薬指中指なるは言を俟たぬ。 打突を確認後、徐に左足大きく退いて上段にて残心姿勢に入る。剣先下がら…

雑草園顛末記《17》

⑰ 忠犬リリぃ 9月9日防災訓練を終えてから、大根植え付け作業へわが身を駆り立てる。 通りすがりのことである。 かつて、此処の御主人より玉ねぎの苗を頂戴したことがある。 今はご立派な御子息がお父さんの御遺志を継いで菜園を営んでおられる。 この日は…

うらなりの記《103》

⑨今思えば、母はもうとっくに雲の上の人のようになっていたのだろう。 真綿を抱いているような恍惚の境地になった。 母を抱くことが許された喜びに満たされた。 かつて母の胸に抱かれたお返しがこんな形でできたことに感謝した。

老いぼれ剣士の夕雲考《101》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(27) わが師夕雲とはどのような人物か ⑳【相ぬけの日は夕雲いかゞ存ぜられけるか、懐中より念珠を取出して、予に向て香を焚て予を拜せらる、其年夕雲逝去せらる、】 口語訳 この相抜けが成立した日は、夕雲先生にとりてはい…

老いぼれ教師の回想記《104》

その五 挑戦と試練挫折の河北台(続) 雑感=5 ⑤河北台商校高校独自の確たる生徒指導方式を県立学校ならば百万県民の熱烈なるニーズに応ずるべく強力に提示しアピールすべきであったはずだと思う。 確かに、情報教育は時代の要請に呼応した時宜を得た対応…

老いぼれの愛犬日記《14》

⑭9月27日のことです。 りりのもとへとても立派なお花が届けられた。 送り主は某「犬の美容院」のAさんでした。 生前リリは二三か月ごとにシャンプーをしていただいた其のお店から、殊の外豪華な生け花の盛籠を頂戴してしまった。 わたしのリリを担当してく…

1老いぼれの弓事始め《16》

庭石とコムラサキ ⑭ 8月3日金曜日、今日も巻き藁に専念する。 藁すべ一本に狙いを定めて射るのだが中 ( あた )らない。 中るはずがない。何度繰り返してみても中らない。 それで、的中の径間10センチほどを目当てに試みるが、それでも10発10中にはゆ…

老いぼれの中国紀行《6》

宋代の迦叶尊者像 シャカ十哲の一人 中国紀行 ⑥閑散とした総会は胸が痛んだ。虚しかった。 尖閣でいがみ合う姿は賢い人間の為すことではない。 謙譲の美徳を共有し得る両国なのだから相互に一歩退いて“戦略的互恵関係”を再構築するしかない。 先ずは、日本国…

老いぼれの形稽古《21》

小太刀の部一本目=その1 打太刀左上段、仕太刀中段半身で剣先は打太刀眉間に付ける。 互いに三歩進み間合いに接するや仕太刀は入身にて打太刀眉間を突かんばかりの気勢を示せば打太刀の氷の刃が頭上に降り注ぐ。 其処へわが脳天を曝け出すや否や打太刀の…

雑草園顛末記《16》

⑯ 泥縄式農法 大根の植え付け上限期限が9月連休の17日だという緊急情報を入手す。 先ずは蔓延る雑草退治だ。ここのところ打ち続く驟雨でぬかるみ激しく根っ子に泥がこびり付く。 貴重な畑の土壌がみるみる減少するではないか。 次いで、石灰を撒き鍬入れ…

うらなりの記《102》

⑧ 如何ほどの時の経過があったか知らない。 無言のままであった。 私は愛おしい母の手や足をさすった。 やがて、母は私に声を掛けた。 からだの向きを変えてほしいと願い出た。 四月に出立の折り、見送りの言葉を戴いた時以来の久し振りの母の肉声だった。 …