うらなりの記《105》

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⑪私の腕の中の母も安らぎの安堵の色を子供のような表情で精一杯表しながら、いかにも満足そうであった。
母と子だけの一時だった。
 
三ヵ月後の十一月十四日月曜日の朝方、下宿先に電報が舞い込んだ。『ハハキトクスグカエレチチ』予期したこととはいえ悲劇の主人公気取りで汽車に飛び乗り、病院へ直行した。
当時は急行列車ゆのくに号に乗り継いでも所要時間は優に四時間は超えたであろう。
昼を大きく過ぎた頃だった、母の病室にはもう既に母はいなかった。
母の微かなぬくもりを求めてみたが冷たく冷えきっていた。
強い自責の念に駆られた。“お母さんはもうお帰りですよ”という看護婦さんのささやくような声を寂しく聞いた。
私を責めているようにも聞こえた。
泉寺町にあった家までどのような足取りでたどり着いたものか皆目私には記憶はない。
母の遺体は村井葬儀社の車で家路に就いたと後から聞いた。