⑫私たち家族は泉寺町の飴玉屋さんの二階の借間生活であった。 借間であれ、母にとっては住み慣れた住処 ( すみか )に違いない。 其処に最後の一夜だけでも安置すべきではあったのだが、父は大家さんに遠慮した。 皆が皆、無念に思った。 ひつぎは通夜を営む…
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