うらなりの記《106》

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⑫私たち家族は泉寺町の飴玉屋さんの二階の借間生活であった。
借間であれ、母にとっては住み慣れた住処 ( すみか )に違いない。
其処に最後の一夜だけでも安置すべきではあったのだが、父は大家さんに遠慮した。
皆が皆、無念に思った。
 
ひつぎは通夜を営む三光寺へ入れる前に隣家の好意を得て、軒先の幾ばくかの空間に置いて、母には家に帰ったのだと言い聞かせ納得させた。
 
私は其の時、天下の公道に面した公衆の面前で敢えて棺桶の蓋を開けて母を一瞥した。
居ても立ってもいられない思いで、とにかく母にすみませんでしたと謝りたかった。
最期を見届け見取ることを違えてしまいました。
この不幸者に許しを乞うた。
安らかな顔立ちで、何もかもを受け入れてくれるかのように優しく肯いたように見えた。