老いのひとこと


孫からどえらいものが届いた。 中国の古書かと我が目を疑ったがよく見れば此れは間違いなく孫が揮毫した作品なのだ。 あっという間に長足の進歩を遂げ、あれよあれよという間に一角の書家にまで成長したではないか。 でも読めるはずがない、解かるはずもない。 見慣れない文字をIMEパットに手書きで入力し漸く「似蘭斯馨」をパソコンに入れれば、何も言わぬのにAI君が気を利かせて即座に解答を寄せて呉れたではないか。 大変な時代になったものだ、AI時代の到来に魂消たわたしは腰を抜かしました。 随→唐とつづく中国の時代区分で、隋の2つ手前になる「梁」の時代に「周興嗣(しゅうこうし)」という優れた文人がいました。 此の周興嗣は王羲之(おうぎし)が著わした書家集の中から一千個の文字を選び出し「千字文」という漢字を勉強するための学習帖を作成し、中国の子どもたちは此れで以って漢字の勉強をしたのだという。 また、此の「千字文」は習字のお手本としても大切に使われて来たのだという。 「千字文」は中国の子どもたちだけではなく日本の国でも書道を志す人たちの大切なお手本になったという。 更に驚くべきことは、此の「周興嗣」なる人物は驚異的な文才の持主で、此の一千文字を駆使して4文字づつの全250句で構成される漢詩集を創作し、それはお習字のお手本にもなった。 其の各々には格調高い意味合いが含まれ実に恐るべき歴史的人物だったのです。 大阪の孫は書道塾で王羲之の「蘭亭序」を学び、今また周興嗣の「千字文」を学んで更に一段ランクを上げた。 今此処に書写した文字は80文字に過ぎない。 然らば、まだ920文字が待っていますね。 更に、奮発して奥義を極めて欲しい。 がんばれよ。 ジイジは応援してますよ。

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わたしの守備範囲は随分狭くなりました。 城谷川と高橋川に架かる四つの橋を一回りする範囲がわたくしのテリトリーで凡そ壱キロメーター弱と相成ろう。 真夏の頃なら朝夕の川風が心地よい、よく橋の欄干から地アユの魚影に目を凝らすのです。 ひと昔以前の頃には高橋川の河川敷でケタタマシイ美声の主ヨシキリ、オオヨシキリたちをよく散見したが此処のところは只の一羽も居ない、自然環境の激変が為せるワザに違いはない。 カルガモたちの楽園であった筈の水辺には矢張りその数が激減したのは間違いない。 そして、孤高の水鳥シラサギ・アオサギが行動は別ながらもよく飛来し長い脚を休める。 まるで哲学者風情で沈思黙考し微動だにせずに独り佇む。 或る時には忍び足で獲物に近付き、長い首をくねらせ瞬時にして稚鮎を捕獲する神技を披露して呉れたりもする。 つい先日の事、城谷川の川辺で町内きっての山男・森さんと談笑をかわす折に突然にも彼は「静止」の仕草で身構える。 彼は囁くように「カワセミ」だよと指をさす。 キャノンIXYを差し伸べシャッターを押す手が震える。 最大に近寄せたので猶更手許が定まらない。 辛うじて収めたが葦の葉が邪魔したようだ。 生まれて初めてお目に掛りました。 何んと体形の美しいことか、嘴が何と素敵なんだろう。 此のときめく瑠璃色の艶やかさに固唾を呑んだのでした。 郷土が育んだ我が城谷川にも紛れもなく大自然が甦った。 清流に培われ、魚や植物のみならず昆虫や鳥類たちもが見事に生き返った。

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【今日も綴ります。 九十箇年の足跡は打ち寄せる波に打ち消され瞬時にして跡形もない。 わたしは愚かにも我が消えゆく足跡をデジカメに撮りブログ化しハードデスクに取り込む。 むなしく誰からも一顧だにされない負の知的財産をば営々と積み上げるのみである。 それでもいいじゃないか、二十一世紀型高橋家の由緒書として末孫代々に伝承されればそれでいいじゃないか。】 此れは15年むかしに余が発信せし文書に「90」なる数字を上乗せした代物に過ぎなかろう。 祖父勝太郎、父忠勝の跡を継いだ教師道三代目は儚く惨めなる「足跡」しか遺せなかった。込み上げる虚しき無常感にむせび泣く。 それでもおとのう客人が日に5人ばかり、有り難いことではないか。 此れ、無上の喜びと言えり。 発信歴、足掛け15か年で5500回に及ばん。 然らば、その間延べ二万数千人もの客人から愛顧の目が届いたことに成ろう。 光栄なことではないか。 わたしはブログというわたしの「エンディングノート」を今まで通り、これからも誓って日々更新します。 QOLに満ち満ちた悔いのない我が人生を全うする覚悟なのである。

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ガン告知の日から早や六か月近くが経過した。 半年ぶりに樹木公園と城谷公園を経由する散策道をゆく。 杖は護身用決して地面を突くことには用いない、万が一転倒時に役立つ筈だと「用心棒」を携える。 当然ながら軽業師のようには参る筈がない、用心深くそろりそろりと如何にもよぼよぼ老人らしく慎重に歩みをとる。 城谷川には、三四寸ばかりに育った地アユの大群が銀鱗をひるがえす。 岸辺には数株の「ジュズダマ」が今を盛りに咲き誇る。 久し振りでの樹木公園、「シャリンバイ」が実を結び既に黒紫色に爛熟す。 ブルーベリーにそっくりさん、口に含めば種ばかりで人の食い物ではなさそうだ。 「アセビ」や「サザンカ」はもう沢山の花芽を蓄え、確と来春に備えてる。 あちらにもこちらにも色付き始めた「ムラサキシキブ」が満を持す。 両公園の中間地点いて金網に這う其れは巨大なる2尺以上の大「ヘチマ」数個がぶら下がる。 思わず吹き出した。 樹木公園の桜の幹に5寸ばかりの「サルノコシカケ」、お猿さんが腰掛けて呉れれば言う事なしだ。 花期の長い「ハネツキバネウツギ」が未だに乱れ咲く。 地上に落下した「ヤマホウシ」の黒い実が散乱しているではないか。 開さんの庭先で意外なる光景に出逢う。 「ムラサキシキブ」に 秋に咲く「アジサイ」の珍種 赤と白の「ホットリップス」が彩りを添え 「コスモス」の花が加わり 大きな「柿」の実に 花こそなけれど「モッコク」たちもが 所狭しと寄り添う姿にわたしはニッコリと感歎す。 程よい疲労感が充足感を弥増すばかりだ。 辺りにはセレトニンで溢れかえる。

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トイレの貯水タンクに水漏れが来たし息子に頼んで業者を選定して貰った。 業者さんからは6000円の見積額を告げられ、意外なる高額に驚いた。 と申すのも、未だ未確定な話しながらも拙宅に普請の手を施す素案がある。 此処に到りて凡人凡夫のわたしは大きなジレンマに陥って仕舞ったのです。 修理代6000円を支払った其の直後に於いて普請の手が及ばば当然ながら便器そのものが叩き壊されましょう。 ならば、これは6000円をドブに捨てたも同然、耐え難き煩悩の大渦の中に巻き込まれたのです。 其れのみならず、修理をキャンセルすれば息子のメンツが丸つぶれだろう。 行きつ戻りつ悩みは深まるばかりナリ。 挙句の果てには、漏水を放置した際の1か月間の水道料料金は幾ばく也しか、無い脳内が混乱し此れ間違いなく神経衰弱の典型例を示すに至りけり。 愚かなりしことかと判断し、息子には迷惑を掛けまじと最終決断し見積り通りに貯水タンク内のポールタップとゴムフロートの取り換え修理を承諾申した。 此のわたしは同意を表明いたした次第なり。 此れにて一件が落着セリ。

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凡そ100世帯ばかりの我が町会、居住者延べ人数が何名かは何故かしら分からない。 個人情報漏洩を錦の御旗のように居住者名の公表を頑なに拒む。 馬鹿げていまいか。 町の長老さんから最長老者の名を訊けばどうも此の拙者らしいが真偽のほどは分かる筈がない。 甚だ不可思議な実態が罷り通るのだ。 我が町会から程なき箇所に「森本~富樫活断層」が東西に走る。 予期せぬ事態に備え今年も「市民防災訓練」のチラシが宅配された。 此れは「避難訓練」と単的に表記し直すべきだ。 “イザ突発”、“地割れだ”“家屋が倒壊”した緊急時に、此のわたくしは指定避難場所とは逆方向の城谷公園に身を寄せねばならない。 其処には町会の「自主防災会」の方々が待機し世話をするのだという。 要避難者の誰かを確認し、点呼も為さぬ間に火の手が迫り来る。 当町会の名簿からは電話連絡先が欠落し削除されて全て空欄だ。 何んと「自主防災会」の役員とて例外ではなく連絡の仕様が無いのだ。 指揮系統が混乱し、年老いし避難者たちは只々右往左往するばかり。 形式的な体裁を整える事よりも現場に即した現実的な即応策を講ずべしだ。 単年限りの町会役員配置ではなく、予め若青壮年層の有志を募り其れこそ当町会の自主的な防災組織の自主的な編成が何よりも急務ではないのか。 高校生や工大生にも一肌脱いで貰わねばならない。 若者の活力とアイデアなくして老人が老人の避難誘導を遂行することは全く以って不可能ではないか。 笑止千万だ。 その場限りの単なる気休めに過ぎぬ小役人的な「おざなり防災訓練」は全然意味をなさないのだ。

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無断掲載


真宗のお寺さんの門前の壁紙になる。 前回は途轍もなく難しい、上から読んでも下から読んでも意味がよく掴めない親鸞聖人さんのお言葉でしたが今回はよく読めば何となく判らぬでもない。 「災いが この身に落ちて あの人の 痛みが分かる 我が身の 愚かさ」 痛い目にあって、初めて他人の痛みがわかる 何と自分は愚かな人間なのだろうか。 確かに何となく分かるよう気がしないでもない。 自分が心の傷を負い辛い思いに沈んで初めて他人様の心の傷痕に気付く、何んと自分は愚かだったのだろう。 武士が台頭し世の中が大きく動いた親鸞の時代に在っても他人様の災いや心の痛みに思いを寄せる。 弱肉強食の下剋上の世に於いても相手の心中に寄り添う 胸襟の広い親鸞の教えはさすがに凄いなあと仏教の教えに疎い凡夫凡人ながらもつくづく感心するばかりなのです。