2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

老いぼれへぼ剣士の独り言

引き続き幻想的な思い付きを記す この際、政治のことなんてどうでもよい。 所詮、いかに気にしたって諦めるしかない。 わたしは、政治的無関心層へ知らぬ内に傾斜し追い詰められていた。 そうした矢先、8月29日代表選挙の日を迎えた。 どうしたことか理…

老いぼれへぼ剣士の独り言

政権交代の再来に胸ときめく 野田新代表は勝つべくして勝った。 わが身命を賭して、全身全霊を捧げる意気込を一心不乱に訴え続けたのは馬淵澄夫氏と野田佳彦氏であった。 その根拠は極めて単純であって、この両氏こそは終始、中をにらみ見定め聴衆に、延い…

老いぼれへぼ剣士の独り言

政権交代=2009/8/30 ええじゃないか 平成世直し 八三〇 炎天下 地殻変動 人なびく 民衆が 怒り猛びて 夏に立つ 晩夏にて 歴史のページ 今開けん 待ちに待つ 歴史の胎動 夏に識る 世直しに 精出す民主 穂波かな 金風に 夢や希望が 逆巻けり ところが…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《21》

郷土ゆかりの仏教学者鈴木大拙が事もあろうに針谷夕雲と深いかかわりを持っていたのです。 その経緯について浅はかなる洞察力でもって追い求めてみました。 鈴木大拙は夕雲をどのように観察し評価したか(1) 鈴木大拙記念館なるものが生誕の地でもある本多…

老いぼれへぼ剣士の独り言

八月初めの頃、例のようにふれあい公園の芝の上にいた。前方に金色色に輝く物体を見た。 ブローチかなと思いつつ近寄ると色美しき昆虫ではないか。 余りにも珍稀な光沢を放つので、おそらく孫たちも喜ぶだろうと拾って収得物とした。 後日、それを見た孫は…

老いぼれの独り言

二日間のブランク 手持ち無沙汰がようやく解消 さあ明日からまたはじめましょう

老いぼれへぼ剣士の独り言

掛かり付けの医師に大根おろしと腹痛との因果関係を尋ねて見たのだが、一笑に付されてしまった。 医学的には根拠のないことで、せいぜい手洗いを励行すれば済むことだと説得されてしまった。合気の立会いとまでは行かなかった。 ここのところ、ひざが痛む。…

老いぼれへぼ教師の独り言

此の画像は、昭和35年1月に撮影された。撮影者は今もって分かってはいない。 左端の数人の一団の前に雪面から離れた箇所に横たわる物体が担架に担がれる 私自身なのです。 5月24日に投稿した”おいぼれへぼ教師の回想記《5》・・・スキーと骨折”に関わる貴…

老いぼれへぼ剣士の独り言

Rokusuiとは疎遠となってしまった。 もはや幽霊会員となってしまった。 不甲斐なさを寂しく悔い入る次第なり。 せめて名だけでも留めんと鏡の前にて 独りシャドー稽古。 居合いを抜き、老いし虚ろな姿を 映して、暫し眺むる。 ”過ぎたるはなお及ばざ…

老いぼれへぼ教師の回想記《21》下

あの愚かしくも浅ましい出来事から半世紀が過ぎた。 なにらお咎めもなく社会的制裁を科されることもなかったかのように歳月は流れた。 確かにあの時は、公的権力による収監こそなされることはなかったが我が胸中に 得体知れぬ空洞が生じ、いつの間にか己自身…

老いぼれへぼ教師の回想記《21》中

あれから五十年の歳月が流れた。 実はわたしのブログ、五月九日投稿の”老いぼれへぼ教師の回想記《1》で次のように述べたことを確認した。 何はともあれ、この際可能な限り赤裸々に己が人生縮図を曝け出すことを意図した。 それが如何に稚拙な思索であって…

老いぼれへぼ教師の回想記《21》上

あの出来事から五十年の年月が過ぎた。いくら若気の至りとは言え何とも破廉恥なことをしでかしたものだ。 穴があれば入りたい。入ったまま出て来なければよい位だ。 よくもずけずけとこの世に厚顔を曝していると悪口雑言を叩かれてもし様があるまい。 背を…

老いぼれへぼ剣士の独り言

いつになく来訪者多し、不可解なり、少々気味悪し。

老いぼれへぼ剣士の生い立ちの記《21》

その2 高橋 爲(4) 祖母爲は明治六年十月二十八日に父吉見至重・母慧光の二女として石川郡蝶屋村字長屋(現在の白山市 美川町 長屋町)に出生し明治三十三年一月二十六日に高橋家に入籍している。二十七歳の時になる。 長男忠勝を身籠った年に爲は勝太郎…

老いぼれ剣士のルーツ《3》の補足

孫より画像添付の手ほどきを受けましたので 5月16日に投稿したわたしのルーツの内容を一部補足させていただきます。 わたしの九世の祖父の名を大橋源左衛門といいます。 わたしの八世の祖父の名を大橋覚兵衛といいます。この両名が仕えた主君が 大垣城主…

老いぼれへぼ剣士の独り言

いつものふれあい公園でのトレーニングのさ中、人の気配を感じ振り向くと外国人の親子であった。 お父さんの号令で柔軟体操が始まる。 どうも、脚を主体とするサッカーの準備運動のようにも伺える。 次いで、三人お揃いでランニングに入り、リンゴ園の中へ消…

老いぼれへぼ剣士の独り言

昨日転倒せり、熱中症にあらず。 菜園にて小一時間ほど雑草を処理した後、いちごのハウス用の ビニールシートをたたみ直そうとした。 結構大きなシートで風であおられた箇所を 足で押さえようとした折に無残にもものの見事に 転倒してしまった。 実に情けな…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《20》

先ほどラジオで”戦争と平和”と題して特集番組を放送していた。 リスナーから届いた真摯な生の声にことごとく驚嘆した。 若い世代の貴重な叫びにも聞き取れた。 まだまだ、日本国は捨てたものじゃない。 日本国を震撼させた311大災害を契機に核の危機を肌…

老いぼれへぼ教師の回想記《20》

投稿が途絶えた。三男の嫁さんのお祖母さんが亡くなったので大阪へ赴いた為だ。真言宗の会葬の式次第が異質に映った。 大阪駅周辺の再開発の様子を見聞したがさほどの驚嘆にも値しない感じなり。 何処の都市開発も一様に個性を感じさせない。 ヤングファッシ…

老いぼれへぼ剣士の独り言

高橋川と金沢工大キャンパス敷地沿いに散歩道がある。 いろんな樹木が生い茂り小鳥の囀りと共に絶好の憩いの場である。 取り分け桜の時節には延々と続く桜並木が圧巻だ。 川沿いの桜たちと競演するが如き、とある一角には花吹雪の舞う見事なるトンネルが出現…

老いぼれへぼ剣士の生い立ちの記《20》

どう見てもこの辺りからはわたしのルーツではなく生い立ちの記に早変わりしてしまったようだ。 気が小さくてよく人見知りし、自分の思い通りにならないと我が儘放題に陥るこの生来の悪しき性格は、祖母為からの偏愛によって齎されたものかもしれない。 でも…

老いぼれへぼ剣士の独り言

「剣道時代」1999年四月号に『一刀流極意』の教えを読むと題して特集を組まれた。 実父順造氏の名著『一刀流極意』をご子息笹森建美氏が平易にして解説された。 居乍らにして小野派一刀流の極意の一端に拝覧するに及んだことは無上の喜びとしなくてはな…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《19》

大森曹玄は著書「剣と禅」のなかで”人間は、過去の必然を未来の自由に転ずる主体性を持つ。また、人間はわが命を能動的に創造的に展開できる”という言葉を用いて、勝つか負けるか生きるか死ぬるかを峻別する勝負の世界を考察している。 そして、その行き着く…

老いぼれへぼ剣士の独り言

もはや此の歳では剣の速さや剣の技では敵っこない。せめて気力だけでも充満させて対してみるが長続きしない。 ならば、その上に「心」があろうといろいろ勉強して見ても奥が深く深遠で手が届かない。実に情けない。 いみじくも、「猫の妙術」の作者は「心」…

老いぼれへぼ教師の回想記《19》

紫錦台 気ままに生きて 小手試し 犀川ダム探訪 市内の各校の社会科クラブ員が、それぞれの地域に根ざしたテーマーを携えて研究し、その成果を一堂に会して発表し合うという慣わしが当初からあった。 二年目の長町分校に勤務した年は、丁度本校が当番校にあっ…

老いぼれへぼ剣士の独り言

おこがましくも図々しく、知ったかぶりで上から見下ろす言い草は下衆の為す、 唾棄されてしかるべき戯言とは十分承知の上で書いてみた。 どうぞ、みなさん一笑に付してください。 剣の心とは(1) 直(じき)心(しん)影流(かげりゅう)島田派を名乗った、島田…

老いぼれへぼ剣士のルーツ《19》

表題はルーツとあるが、わが生い立ちの記録に過ぎない。 その二 高橋 為(2) 幼児期の記憶の度合いの濃淡が、その人の記憶の良し悪しに正比例するならば、私のそれは極めて劣悪の部類に入ろう。 祖母は昭和十六年に他界しているが、その告別式の断片すらま…

下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《18》

会田雄次は「敗者の条件」のなかで次のようなことを指摘している。 雛鳥たちにとっては弱肉強食のなかでの生存競争は過酷だ。命を狙うのは蛇や鳥獣だけではない。 巣の中の兄弟たちであり何よりも自分の親鳥なのだという。巣から落ちた雛には絶対に給餌をし…