老いぼれへぼ教師の回想記《21》中

あれから五十年の歳月が流れた。
実はわたしのブログ、五月九日投稿の”老いぼれへぼ教師の回想記《1》で次のように述べたことを確認した。
 
何はともあれ、この際可能な限り赤裸々に己が人生縮図を曝け出すことを意図した。
それが如何に稚拙な思索であっても破廉恥すぎる行為であっても、全ての真情を吐露し尽くすことに意義があり、自ずと懺悔録としての形を成そう。侘びしき者の負の財産でかまわないのである。
 
 醜悪の権化ともいうべき、己が醜態を演ずる修羅場に等しき生き様をつぶさに愛しき子や孫たち、妻そして親族、私の人生に関わりし幾多の方々の前へ暴露するには大きな勇気を要したが敢えて決断するに至った。
 
 けだし、この生き様だけを皮相的で無味乾燥な文言でいくら連ねてみても、読む者に対し嫌気を誘うのみで単なる弱虫の言い訳にしか見做されないのである。
敗者による弁解ほど見苦しきものはないことは自身よく承知するのである。
 
 それだからこそ、己が生き様の中で培養し続けた見苦しい人間性と宿命的な性根の依って来る要因をつぶさに自己分析し、おのれの中に巣食う諸悪の根源として捉え、それを自身の手で糾弾しなくてはならないのである。・・・
 
・・・更には罪滅ぼしに何をなすべきなのか。何をなし得るのか。懺悔するとは何を意味し、何をなすべきなのか。幾ばくもないわが余命においてこの宿題に如何に誠意を以って取り組むかにある。
 
繰り返すが、普通の人間にも成れずにこの愚直なる男は、やはり赤恥だけを遺して逝ってしまったと言われても仕様のないことなのだ。
 
 
それにしても、わが妻子や孫たちだけではなくわたしに関わる人たちに対し、赤恥だけを曝して逝ってしまうことは口惜しいことに決まっている。
ある種の罪悪感に苛まれつつ大きな負の遺産を永遠に背負いつつ十字架に処せられる日を待つしかないことは本当につらい。
あの五十年前の邪剣を戒め悔い改め、脱却し克服する道は最早閉ざされてしまったのか。打開の道はないのだろうか。
邪剣を正剣に導く為の修行は、此れ如何に・・・
孫たちに正剣を授けたい・・・