老いのひとこと

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孫が通う学校は残念ではあるがチーム編成が敵わず団体戦にはエントリーできなかった。
さぞかし悔しかったであろう。
悔しさのあまり普通ならば気持ちが萎え戦意を失って大会そのものを忌避しボイコットしかねない状況下にありながら彼女らは逆風跳ね除け志気を鼓舞し雄々しく立ち上がった。
個人戦に挑み潔く散っていった。
それでも善戦よろしく延長戦にもつれ込み敢え無く御籠手を頂戴し敗れ去るところまでいった。
 
孫たちには諸に四病が襲いかかったであろう。
会場玄関の敷居を跨ぐや否や四病どころか怖気付く五病六病が幾重にも畳み掛けて恐らくは道場の床に立つことすら覚束なかったであろう。
ところが、仕合開始の合図と共に一切の蟠りから解放され開き直り不思議と無の境地に達したのではなかろうか。
強豪校の相手と互角に渡り合えたことは天晴れと云うしかない。
大したものではないか。
必ずや、此の貴重なる体験は終生忘れることなく彼女らの人生に有形無形の形で寄与する事でありましょう。
 
剣道は「非切」を以って極意とす。
敵を切るに非ずしておのれの非ざる心、弱い心、邪な心を切る事こそが剣の極意であると紙谷傳心斎は説いたのだと今に語り継がれているのです。
 
なお、此の間における彼女らの奮闘ぶりを直に観戦できなかった事はわたしの落度であり自身憤慨に堪えないのであります。