老いぼれの夕雲考≪138≫

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夕雲流剣術書     小出切一雲 誌(62)


 


夕雲と一雲の剣術には深遠なる哲理が脈々と流れ凡夫には近寄り難い。


しかも凡人には些か耳が痛い。


剣を遣うものはどうしても心の病に罹り易い。


此の心の病を大元から根治する術を会得しないまま只空念仏のようにやれ太極本然 ( たいきょくほんねん )の位だとか恬淡虚無 ( てんたんきょむ )の位とか高邁なことを幾ら唱えていても埒が明かないと辛辣に語られている。


「相抜け」の極意に到達するには血の滲む修錬が待っているのでありましょう。


 


太極本然の位・無爲の所作・恬淡虚無の位とは何ぞや


 


【此所を云はんとしては、太極本然の位、或は無爲の所作或は恬淡虚無などと語るに依て、聞く人其語に取りつき迷ふて彌々正理を失ふ也、總別心病の名目,卓散の前賢の書に載せ置、其心病の藥法藥味も品品に論じおきたれども、病名の藥名計り目にて見知りたりとて、病を療する術に暗ければ無用の事と成る也、】


 


口語訳


 


 此処のところを言葉を改めて表わすとすれば、太極本然の位、或いは無為の所作、或いは恬淡虚無の位などと語られるのだが、聞く人たちはその言葉に惑わされてしまい、いよいよもってその正しき道理を見失ってしまう恐れがありはしないかと危惧するところです。


 全て押し並べて、勝負にて勝たんと一途に思うこと、兵法を使わんと一途に思うこと、習得した技を誇示しようと一途に思うこと、敵に掛かろうと一途に思うこと等々。


 何事も心の赴くまま只一筋に留まりたる様を病というのであります。


 この様々な病は、皆心の病なので、これらの病の症状を取り去って心を整えることが大事なのであります。


 此の事は、柳生宗矩の「兵法家伝書」上巻に書かれていることでもあるのです。


 つまり、心の病の呼び名については、昔の賢人たちの書物にも数多く載せられていて薬方や薬味についてもいろいろ説明はされているのだが、ともすれば病名と薬名を見知りするだけで病を治癒する術に明るくなければ無用のことのように思えてならないのです。