2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

老いぼれの独り言

ウラジオストクのAPEC首脳会議での立ち話で胡錦濤は“国有化断固対”を表明した。 その二日後に野田総理は国有化を閣議決定してしまった。 この事が胡錦濤の琴線に触れただけではなく激怒の果て最悪の事態に迄至った。 地権者に20億円余りを国家予算の予…

老いぼれ剣士の夕雲考《100》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(26) わが師夕雲とはどのような人物か ⑲【夕雲已に六十餘歳、古き弟子一千四百人もあり、予が廿八歳の時初て謁し口授を請て、三十四歳の時夕雲と眞實のしあひを三度付けて三度ながら相ぬけをして、眞面目と云ふ印可の巻物を…

老いぼれ教師の回想記《103》

その五 挑戦と試練挫折の河北台(続) 雑感=4 ④反面、学業不振を理由に自ら身を退く自主退学者は後を絶たなかった。 学業を怠る非を責める前に、学生に有るまじき非なる行いを口実に責め抜く前に、何ゆえわれ等が天職の実を徹底追及しなかったのか。 未成…

老いぼれの独り言

自転車の経路がある。光が丘を突き切り額谷に入り公園を周遊した後、外環添いの歩道を四十万へ向かう。 ホームセンター武蔵をひやかし、野々市市役所経由で小一時間のサイクリングコースである。 リりとの散歩の代替えとしての一人旅である。 お目当ては額…

老いぼれの愛犬日記《13》

愛犬リり 13 この犬に敬意を表す 一匹の駄犬に過ぎないと思っていたが、この犬の真の勇気に感服した。 ぐったりと横たわり、時折痙攣を起こしつつ泣き叫ぶ姿からは想像もできぬことだが、或る時目を離した隙に、愛犬リりは檻の外に這い出し、車庫に通じる…

老いぼれの弓事始め《15》

⑬ 7月2日(月) 9時から昼近くまで、もっぱら巻き藁稽古に勤しむ。 幸いにも暫しの一時を除けば、わたしが独り占めしたも同然であった。 その間随所にわたり諸先生方より指導助言をいただいた。 執り弓の姿勢で弓手の手首が返ってしまう。 そんなことすら…

老いぼれの中国紀行《5》

中国紀行 ⑤ 常住人口が千七百万人を超える中国第二の大都会上海の街中を車中より伺えば無数の高層ビルが林立する。 どれ一つとして姿、形、高低も色取りも同じものがない。 考えてみればいずこの都会へ行っても多かれ少なかれいえることには違いはないが、…

老いぼれの形稽古《20》

太刀の部7本目=その2 打太刀は二足一刀で左右と身を捨てて真向正面を打つ。 打ち切った瞬間は、目線は仕太刀より外れるが直ちに振り向きざま仕太刀へ注ぐ。 仕太刀は、振りかぶりつつ右足斜めへ開き体を沈めながら左足大きく右前へ送ると同時に手首返し…

雑草園顛末記《》15

⑮ 賃借菜園 家から程ない箇所で借りた菜園を営む。 営むと云えどもこれほど好い加減な菜園主はいない。 野菜の栽培と云うより雑草の培養に精を出す人と云う方が近い。 領有権を主張する魚釣島近海を何処かの漁船が不法侵犯したといって大騒ぎしている。 わ…

老いぼれの独り言

米国偵察衛星がキャッチしたという 尖閣近海での中国の攻撃型原潜群 紀行どころではない。 まったく腑に落ちない。 民衆による反日暴動に加え、習近平次期主席からも尖閣国有化を“馬鹿げた茶番劇”だと嘲弄された。 確かに日本人からすれば怒り心頭の思いで煮…

うらなりの記《101》

イメージ画像 ⑦ 私は母に近づいた。母にはタオルケットが掛けられていた。 まさに文字通り薄っぺらなタオルケット一枚だけが見えた。 母のふくよかな五体はどこにもなかった。 余りにも無惨と言おうか無慈悲すぎる光景だった。 目だけは変わらぬ母の目であっ…

老いぼれ剣士の夕雲考《99》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(25) わが師夕雲とはどのような人物か ⑱ 【故に前々の諸流を捨て、自己の禪味より得たる所の一法につづめて一生の受用とす、流と云べき樣もなければ名もなし、若し名付けば無住心劔術と云はんかとは虎白の仰せらるる名なり、…

老いぼれ教師の回想記《102》

その五 挑戦と試練挫折の河北台(続) 雑感=3 ③この学校に入る者は押し並べて学業成績は皆等しくどんぐりの背比べの感が強いのだが、内々の実情を云えば実際面ではわれも驚かざるを得なかった。 入学後の考査の得点分布は見事に正常な分布のラインを示す…

老いぼれの愛犬日記《12》

12 CTスキャンが怖い 病院の女医先生によれば、この定期的に襲う癲癇症状の発作は恐らく頭部を殴打したことが原因だろうと言われる。 処が更に続けて、もしも脳細胞に悪性腫瘍が生じている事に起因するとすれば生命の維持は絶望的だと説諭される。 その…

老いぼれの弓事始め《14》

⑫ 6月28日木曜日、昼近いころ稽古に行く。 鏡の前で巻き藁に取り組む。諸先生方より忠告やサゼッションを頂戴する中、見慣れぬ長老の方よりお声を戴いた。 最古参の射手 (いて)御年88歳の山形先生に他ならなかった。 弓道歴70年を超える超ベテランの…

老いぼれの中国紀行《4》

中国紀行 ④ 紀行とは無関係な時事問題 今尖閣でまた火の手が上がった。 反日暴動がエスカレートしはじめた。 ちょうど2005年に中国ツアーを終えて帰国するや否や、まさに今回と同様の騒動が報じられた。 ”歴史は繰り返す”とは上手く云ったものだ。 同時…

老いぼれの形稽古《19》

わたしのブログ仲間、加藤さんより9月5日発信の七本目(その1)への貴重なるコメントを頂いた。 以下が、その全文である。 『あなたの剣道形の解説楽しみにしています。 太刀の形七本目は打太刀が二足一刀からまず左足で一歩攻め込み右足を出すと同時に…

雑草園顛末記《14》

⑭ 百日紅 ヒラトツツジの根元に何時とはなしにサルスベリが一株同居し始め見る見るうちに巨大な大木にまで成長してしまった。 ツツジは植え込んだ記憶はあるがサルスベリは植えた覚えは何処にもない。 鳥の糞により種子が運ばれたに違いない。 余ほど生育環…

老いぼれの独り言

とうとう大台に達す 名もなき奇特な来訪者に対し 繰り返し繰り返し支えられ 今祝福された この薄暗く薄汚れた発信基地で うだつの上がらぬわれ 一人でうなずく 上手 (うま)く云ったものだ 塵も積もれば山となるとさ 営々 (えいえい)と積み上げたね お前さん…

うらなりの記《100》

がん対策基本法に命懸けで取り組んだ 『母よ』 ⑥ 入院しベットに臥した時点で、母は全てを察知し観念した。 周囲の者たちが注ぐ視線から只な らぬ事態を逸早く勘繰り、何にも益 して自身の体調の異変は本人が一番 知っていた。 今、国会にて癌対策基本法の成…

老いぼれ剣士の夕雲考《98》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(24) わが師夕雲とはどのような人物か 無住心剣術の誕生 ⑰【それより他流に立合て、只今の工夫自得の用を試るに、終に障る者なし、幸に先師の玄信いまだ在世なる故に自己の所得を談じ、聞せ、其上に立向試るに、玄信が秘々の…

老いぼれ教師の回想記《101》

その五 挑戦と試練挫折の河北台(続) 雑感=2 ②おもむろに、聖なる地に足を踏み入れた。自ずと足は剣道場に向いていた。 しかし、錠前は無言で私を拒んだ。 次いで担任した一年五組の四十二名の諸君と一年二組の三十七名の諸君に、それと二年二組の三十一…

老いぼれの愛犬日記《11》

擬似ウンチングスタイル 11 排便の事 元気な頃のこの犬は、羨ましいくらい巨大なフンを仕出かす奴だった。 兎に角小さな身体の割には、よくもこんなにと感心せざるを得ない。 それも、時によっては朝晩二回もしおる始末だ。 ところが更に排便直後に数メー…

老いぼれの弓事始め《13》

⑪ 6月19日第15回目に当る最終回は午後7時半開催、座射一手を披露する。 生半可な理解度のまま出番を迎え、案の定矢番えに手間取り胸中益々焦燥感と不安定感を増した矢先に取り懸け不備なまま引き分け、会から離に至った瞬間不調和音と共に弦が右頬を…

老いぼれの中国紀行《3》

無礼 卑劣 ペテンと云って 中国紀行 ③孔子の国として儒教精神に根ざした立国がなされたものと確信していたこの中国には、もはや「仁」のこころはない。 やさしく他人をおもんぱかり配慮する気風は何処にもない。 高圧的で打算的な思惑で覇権主義に猛烈にツっ…

老いぼれの形稽古《18》

太刀の部7本目=その1 七本目で仕太刀が胴を切るに際し、手首の返しを90度にして真横に切り離すのか、それとも手首の返しを45度にして袈裟に切り右膝着床時に刃先を右水平へ向けるように修正を試みればよいものか、当方は後者の方が自然な振る舞いの…

雑草園顛末記《13》

こりゃひどい 目も当てられない ⑬ 旧盆には大阪の孫たちが来る。せめての持て成しに、この雑然とした空間に手を入れねばなるまい。 二才を過ぎた双子の孫娘には、土の感触を直に裸足で味わってもらわねばならない。 苛立つ焦燥感に駆られて藪の中に分け入っ…

うらなりの記《99》

思い返せばこのようなママチャリだった 『母よ』 ⑤ つまり、母の体内に刻一刻と癌細胞が増殖する最中に、たまたま自転車事故に遭遇し、これがきっかけで全容が明らかにされるに至った訳になる。 私は独り恨み言を口走った。何ゆえ以って『ここに泉あり』の再…

老いぼれ剣士の夕雲考《97》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(23) わが師夕雲とはどのような人物か 真の勝利とは ⑯【一旦豁然として大悟し、兵法を離れて勝理明かに、人生天理の自然に安座して一切の所作を破り、八面玲瓏物外獨立の眞妙を得られたり、】 口語訳 そして、夕雲はある日の…

老いぼれの犬日記《10》

最期の別れ 10 りり逝く この格別の猛暑の中わが愛犬りりは19日間の悪戦苦闘の闘病の末、その甲斐もなく8月31日午前6時15分に一人静かに息を引き取った。 真横に添い寝しながら、飼い主に死に体を見せることなく逝ってしまった。 見せることを避け…