老いぼれの中国紀行《4》

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中国紀行

④ 紀行とは無関係な時事問題
 
尖閣でまた火の手が上がった。
反日暴動がエスカレートしはじめた。
ちょうど2005年に中国ツアーを終えて帰国するや否や、まさに今回と同様の騒動が報じられた。 
”歴史は繰り返す”とは上手く云ったものだ。
同時に、歴史の先例に学ぶどころか、またしても過ちを仕出かしおった。
愚かなことだ。情けないと思わないのか、実に嘆かわしい。
尖閣は歴史上日本国固有の領土だ。
そう思って、固くそう信じておればそれでいいことだ。
今回は、領有権を主張するだけでなく国有化までやりおってしもうた。
恐らくあの方は不本意ながらも、万やむを得ず為さざるを得なかったのだろう。
善意に解釈するしかない。
しかし、結果として火に油を注いでしもうた。
さあ さあ どうしようというのか。
震災復興やら原発処理やらデフレ脱却やらあれやこれや大変な時に、どうしようというのか。
野田さんを困らすために、あの人たちが仕出かした罠ではなかったのか・・・
昨日の自民総裁候補はみな皆異口同音に尖閣防衛のための強硬論を口にした。
集団的自衛権にまで論及していた。
わたしはそうは思わない。
やっぱし腰抜け外交、ぺっぴりごし外交、へなちょこ外交、弱腰外交、柳腰外交何と言われようが、それで大いに結構じゃないかと思う。
もやもやとして煮え切らなくても相互のメンツと国益が害されなければそれでいいじゃないかと思う。
『相抜け』論を唱えた江戸中期の兵法学者
針谷夕雲に今こそ学ぶべきだと声を大にして云いたい。
『相打ち』はキーリング アナザー、双方が傷つき共倒れになるは必至。
それは畜生どもが為すことだ。
人間様の為すことではない。
『相抜け』の極意は、夕雲が果てしない死闘の末学び取った物凄く素晴らしい教訓なのです。
『相抜け』は八面玲瓏にして物外独立した真妙なる妙案である。
少しばかりは現実離れした理念とか観念論かもしれぬが、これを活かさない手はない。
今こそ活かすべきだとわたしは再度声を大にして言いたい。
   国賊だと云われようが一向に構わない。