2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

老いぼれへぼ教師の回想記《74》

一世を風靡した“Q・Cサークル”とか“かいぜん活動”は、もはや見る影もない。 バブル崩壊と共にリストラ時代に突入し派遣労働、非正規雇用、パートや外国人労働に依存する体質では、どう見ても企業への帰属意識は希薄となり、成立の基盤を失ってしまった。 …

うらなりの記《73》

父が大切に愛蔵し保管していたものを、無断で借用し終いには我が物の如くに掠め取ってしまった大罪を詫びねばならない。 その都度、父より大目玉を頂戴したことは忘れもしないのだが、とうとう最後はあきらめたらしい。 聖徳太子の五千圓と壱萬圓札、武内宿…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《70》

小出切一雲が貞享3年(1686年)に著わした所謂原本(原書・原典)といわれる種本(底本)は未だ所在不明だという。 何処かで眠っている事と思うが見つかる日が待ち遠しい。 仮りの話で恐縮だが、その発見が切っ掛けで、夕雲から一雲への一連の流れが時…

老いぼれへぼ教師の回想記《73》

記事とは無関係 かつてはソ連、アメリカ合衆国に次ぐ粗鋼生産の実力を囲っていた。 当時においては、単体企業としては新日鉄はU・Sスチールを凌駕し世界一を誇る存在だった。 ところが今や、中国が長足の進歩をとげ世界シェアの40数パーセントに及ばんと…

うらなりの記《72》

当家の当主三男利治に再度ダメを押さねばなるまい。 墓場の陰で、鉄二はにっこり笑いながら“今更そんな水臭いとは言わずに兄貴が大切に保管するこっちゃいね”とも言っていそうだ。 然すれば、つぎにはわたしのつぎなる後釜を遺言しなくてはならない羽目に陥…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《69》

江戸時代の書家 烏石山人 『夕雲流剣術書』ーはじめに(24) 小出切一雲のこと=その16 〔 虚空鈍霊火塔 〕 墓表 ハ ナリ ス 空鈍子隠者 也。宝永三年丙戌四月二十六日卒。 シテ サ ヲ ニ ク ナラ 遺言 不起墳墓。既無家、不詳 氏族郷里。 レ ニ 一 レ …

老いぼれへぼ教師の回想記《72》

内定を知ってからは、予備知識を得るべくテスト前の一夜漬け勉強のようにがむしゃらにむさぼった。 当時は、インターネットとは程遠き時代だった。 せっせと、活字を読みあさった。 天が与えし試練として甘受したはずだった。 わが拙き人生に充実の一時を給…

うらなりの記《71》

当家の守り刀として『友重』のことは実弟鉄二、義母ミサオ、実父忠勝、そして実母としまではわたしの記憶に残る。 『友重』は、わが家の古人たちの野辺送りをしかと見届けてくれた。 浄土真宗には、この守り刀の風習は無縁だと聞くが当家では、『友重』に守…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《》68

いつの世にも、変人奇人の類は居よう。 空鈍こと小出切一雲は、晩年には妻子とてなく裏長屋にて独り侘びしく自炊生活に甘んじたのだという。 その人に宛がわれた、貧富の格差は 人力の及ばぬことなのだと平然と清まして一生を終えた武人で在られた。 七十七…

老いぼれへぼ教師の回想記《71》

わたしは、管理職登用のために上司への自己具申をなした覚えは一度たりともない。 ただ、高校転出の折と此の企業研修には諸手を挙げて応募し具申書をしたためたことを思い出す。 その五 挑戦と試練挫折の河北台(19) 企業派遣研修(3) 高等学校の教員…

うらなりの記《70》

野田町住人の故末岡敬正師より二振りの日本刀を拝領した。 此のいきさつより、手入れに必要な打粉とかお拭紙、そしてお刀油は小立野の中村漢方薬局より入念に仕入れた純粋の丁子油等は所持する。 丁子は東南アジア原産のフトモモ科植物で樹高10メートルの…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《67》

春桃院(南麻布) 小出切一雲は、その才覚を剣術に活かすのみならず古今東西の学術書を存分に熟 (こな)し切り一角 (ひとかど)の剣術観を見事に打ち建てた。博識な教養人であった。 その基礎学力は、若き頃半井驢庵 (なからいろあん)塾で医術と共に培ったもの…

老いぼれへぼ教師の回想記《70》

私企業での社員教育は徹底している。デパートでエレベーターに乗るまでもない。 洗練された接客マナーからは、まさに“お客は神様である”の名文句を目の当たりに実感できる。 学校現場での、お客さんは生徒たちになろう。 生徒を神様扱いすような真面な教師…

うらなりの記《69》

何も知らないものが知ったかぶりはよくない。 加賀藩には藤嶋友重とか辻村兼若とか藤原清光などの名工がいたことで知られているとのこと。 友重は、生まれは越前の藤嶋の地で京で修業し加賀に移り住んだ人だという。 鎌倉末期の頃より江戸晩期に至るまで活…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《66》

無住心剣の印可を認定しようと一雲は弟子圓四郎と仕合ったが「相抜け」に至らぬどころか「相打ち」にて一雲は弟子圓四郎に打ちのめされてしまったらしい。 それでも、一雲は弟子圓四郎に真面目なる印可を授けたことになる。 この辺りの経緯については、素人…

老いぼれへぼ教師の回想記《69》

教員を民間企業へ派遣して研修を積ませる試みが1983年ころより始まったらしい。 その走りともいうべき1981年(昭和56年)に参加したことがる。 三十年前の話しで昔日の感を強める。その間、日本経済は有為転変の激変を来たし様変わりした。 その…

うらなりの記《68》

一振りの脇差を持っているが、決して自慢話をするつもりはない。わが家に伝わる唯一の家宝と云ってよい。 藩政期には、此処加賀藩では辛うじて、足軽は最下層の士分として一応苗字帯刀は許された。 切り米二十俵の極貧の分際で、よくぞ加賀の名刀「友重」を…

独り言

開票率0% 蛇足ながら、消費税でだいぶ悶着している。 弱者を代弁する共産党や社民党の言い分はよく納得できる。 さに非ずして、自公前政権側は政局事にからめて反対する。 与党内での一部反乱分子に至ってはもはや論外。 目先の判断だけではなく、遠き日…

独り言

2011,3,11,14:46から 一か年が過ぎた。 此の国難に際し、日本国が一丸となれるまたとない、いや成ってもおかしくない千載一遇の絶好の好機を逸してしまった感を強くする。 原爆で敗戦を迎え、焼土と化した中からわれら日本人は“腹いっぱいの…

独り言

あの日あの時のあの画面にクギ付けになり、また陛下臨席の慰霊祭をみていて、無性に涙がでてしようがなかった。 年齢のせいで涙腺があまくなったのか、止めどなく頬をつたった。 へんてこりんな政治的思惑を度外視した、より真摯で客観的なアンケートを、こ…

独り言

いま、此のわたしも大津波と放射能禍の直撃を受けて、身ぐるみスカンピンな丸裸にならなくてならない衝動に駆られたのです。 何もかも投げ出され剥ぎ取られてしまい、寥寥たる荒野に独り立たねばならない。 何の役にも立たない実にくだらん事を発信し続けて…

独り言

:罹災当初、わが拙宅あばら屋ではあるが二階の部屋の提供を思い付いたが、回りの者からたしなむように指摘され断念した。 今また、拙宅の猫の額ほどの空間ではあるが瓦礫でも汚染土壌でも引き受ける覚悟は整ってはいるが、やはり近隣住民との折り合いが難…

独り言

何万光年先の大宇宙の彼方へ、超短波の電波を発信し続ける人たちがいる。 知的生命体の存在を信じて、ピンポイントで発信し続けて、その謎の物体からの返信を待っている。 此のわたしも、独り善がりで意味不明な言葉を性懲りもなく発信し続けている。 何ゆ…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《65》

戦勝祈願の御守りを秘かに懐に忍ばせて立ち合った経験の主もいることだろう。恥ずかしながら、おのれ自身がそうだった。 数珠を懐に印可認定の可否を決める仕合に臨み、念願成就をみて、弟子に向かい一心不乱に拝み通したという。 考えてみれば、些か異常に…

老いぼれへぼ教師の回想記《68》

試合に臨んで勝つことにだけに主眼を置いた。 とにかく人より速く打ち抜き、人より遠き間合いより飛び込むことを良とした。 如何にして、相手の隙を狙うか、相手に隙をつくらせるか、もっぱら空き巣狙いの稽古に励んだ。 当時はそれでよかったのかもしれな…

うらなりの記《67》

極めて頑なにして浅はかな態度で終始してしまった。 今少し人としての細やかなる配慮と胸襟を開いた男らしい雅量と度量を何ゆえ持ち得なかったのかとおのれ自身を激しく責め、そして悔いるのだ。 またしても取り返しのつかぬ失態を演じてしまった。わが人生…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《64》

暗黒の中に一脈の光明を見つけ出さんと、心に新たな剣術をイメージし、知的な生命体を真摯に鋭く追及し、すごい叡智を働かせたのが針谷夕雲ではなかったでしょうか。 『夕雲流剣術書』ーはじめに(19) 小出切一雲のこと=その11 『相抜け』の存否は兎…

老いぼれへぼ教師の回想記《67》

閉校の翌年にかつての学び舎を訪問したことがある。 いの一番真っ先に足はおのずと道場へ向いていた。 然れども、開かずの扉と化し重々しき施錠に世の無常を知らされた。 その五 挑戦と試練挫折の河北台(15) 新化館道場(5) その翌年に三門敏雄氏が着…

独り言

吾は唯足るを知る 昨日孫との久し振りの手合わせ 共々、その技量は本格派には遠く及ばずまことに非力なり 然れども、その思いや心掛けこそ健気なり 厚く自負せり 余の唯一人の門下生であり愛弟子でもあり、剣友たり得る人物と心得たり 斯くなる願望を繋げて…

うらなりの記《66》

海沿いの国道249号線を走ると随所に観光用のボラ待ち漁櫓を見受ける。 江戸時代からの伝統漁法で、日本国中ここだけにしか見られないとても珍しい光景である。 こちらでは、メナダとは呼ばず赤目ボラという。こいつは、いただけない。野良猫やカラスでさ…