老いぼれへぼ剣士の夕雲考《69》

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江戸時代の書家 烏石山人
                                                            
『夕雲流剣術書』ーはじめに(24)
 
小出切一雲のこと=その16
 
 
 
〔 虚空鈍霊火塔 〕  墓表
ハ    ナリ                                 ス
空鈍子隠者 也。宝永三年丙戌四月二十六日卒。
     シテ    サ    ヲ   ニ  ク       ナラ
遺言 不起墳墓。既無家、不詳 氏族郷里。
    レ ニ    一     レ      レ  ニ         一
  シテ       スル    ニ  ノ ミ
而 行伏存 人口而已。
           ニ     一
ただ  ビ ヲ  ノ   ル ニ      テ トス  ヲ
但喜剱其術詣妙。人争師 之。
    レ        レ           レ
  テ ヲ      スル    セント             
以故没後欲 展拝 者、
  レ        ニ      一
      リ  メテ    フ ルコトヲ   ヲ   ヲ    ニ   テ  ヲ ス ヲ
往々来求 而患不  識其処。故今立石表之。
               レ  レ     ニ   一         レ   レ
  ドモ  ズト         ニ    クバ  メント    ヲシテ ヲ    ヲ
雖 非 其人之意、遮 令 来者 識 之也。
  レ    ニ          一        ニ         一レ
寛保三癸亥十月 
春桃主人慶雲識。鳥石山人書。 
 
 
 
 
       訳
虚空鈍霊火塔  
墓表=(墓石の裏面に刻まれた文)
 
空鈍さんは、世捨て人でした
宝永3年丙戌 ( ひのえいぬ )4月26日に死去す
墳墓を建てぬように遺言して
既に家もなく郷里の一族の人たちもつまびらかではない
世間の人たちの噂のみでしかその業績は残ってはいない
ただし、剣術と喜楽を共にしその学術の深さは非常に優れている
人々は競って、これを師と仰いだ
故に以って、死後に於いて墓参を欲する者が大勢繰り出して来たので
しかも、煩わしくないようにその処を書き記す
それ故に、いま墓石を建ててこれを表わす
故人の意に非ずといえども、乞い願わくば
これを書き記すことにより墓参に来るものをして、うまく(納得)せしめんとする
 
寛保3癸亥 ( みずのとい )10月
春桃院五世慶雲が書き記す
烏石山人が筆す
 
原文(漢文)の縦書き表示ができなかった。
空鈍の本来の墓は沢庵石を二つ重ねた質素なものであったのだという。
東京港区南麻布の臨済宗妙心寺派寺院
『春桃院』に空鈍の墓表が今以ってあるのかどうかの検証をなさねばならない。