2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

独り言

ラヴェンダーの香り 散歩の道すがら声を掛け合う間柄にある。 処が未だに、御芳名すら存じ上げない。 昨年中には枝豆と紋平柿のお裾分けに与かった気立ての優しい此の御仁から、本日はラベンダーの花束を戴いた。 あたかも私の来るのを待ち伏せしたかのよう…

老いぼれの台湾行《7》

車内販売嬢 その7=台湾新幹線と沿線模様 李登輝総統の時代に九分九厘フランス資本の導入が決定されていた時点で親日派で聞こえる総統自身が突然横槍を入れてわが日本国の新幹線技術導入を決定付けてしまったのだという。 当然ながら、台湾国は莫大なる違約…

老いぼれの形稽古《10》

日本剣道形稽古心得覚書 太刀の部3本目=その2 そして、空 ( す )かさず応じ返す。つまり、突き返す。 そこは、二度突きではないにしても余勢で以って位 ( くらい )詰 ( つ )めに激しく攻め上がり切先を眉間 ( みけん )に付けて残心に至る。 打太刀は右足…

雑草園顛末記《4》

④ 草むしりと山野の草草 むしった草の捨て場はもっと鬱蒼と繁茂していた。 いっきに摘み取ろうと目をやると、紛れもなく野蕗ではないか。 大きく傘を開いて化けてはいるが、まだまだいけそうだ。 茎も小指ほどして生育良好、十本程度の収穫は望めそうだ。 …

うらなりの記《92》

母への想いー(7) 『母の思い出』 ⑦ 瞼にたたえた涙をこらえながらむしろ優しく微笑み返し慈悲の眼でわたしを迎え入れてくれていた。 わたしのからだは吸いつけられるように母の胸にうずくまった。 か細い腕で母はわたしを揺すった。共に泣いた。 それか…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《89》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(15) 夕雲の師匠小笠原源信齋 ➈-3【玄信は又彼者の弟子に成って戈の術を習ひ、師を互いに藝がへしにして修行する中に、玄信は戈の術の八寸のかねと云ことを神陰へ用ひて、以ての外に勝理の益なる事を自得す、】 口語訳 源…

老いぼれへぼ教師の回想記《92》

企業見学レポート=その12 5 サントリー木曽川プラント(3) 衛生管理に完璧を期しただけあって工場内は清潔感に満ち溢れていた。 嬉々とした面立ちで働く従業者にも接した。 あっと言う間に最終日の日程も終えた。会食の好意を甘受した。 確かに、サン…

犬日記

わが家の犬 一駄犬に過ぎないが飼い馴らすうちに少しづつ愛着が募っていった。 息子が10年昔の頃、小松飛行場の近辺で拾った雑種犬を拙宅に置いていった。 既に子犬ではなく成犬に近かった 以来、世話をするのがわたしの日課となってしまった。 孫娘がリ…

老いぼれの弓事始め《4》

弓事始め ② 歩き方 弓道では、左進右退とか下進上退と云って、歩み出るときには左の足から進み出る。 退く際は、右足を先に踏み出さねばならない。 慣れるまでは、随分戸惑う場面が多々あった。 正面または神前に向かって右側が上座であり左が下座なので、…

老いぼれの台湾行《6》

その6=台湾省のナンバープレート スクーターも乗用車もナンバープレートは夫々皆まちまちで統一された様式はなかったようだ。 二期目の総統職に再選された馬英九さんは、どちらかと云えば本土との統一容認派であるらしいが、立候補の弁では曖昧に致し明言…

老いぼれの形稽古《9》

日本剣道形稽古心得覚書 太刀の部3本目=その1 三本目では、間合いに接するや相中段から打太刀は刃を右斜め下に向けつつ仕太刀の水月を突く。 仕太刀はそれを刃先右下にして入れ突きに萎 ( な )やし、すぐさま刃を真下にして打太刀の胸部へ突き返す。 こ…

雑草園顛末記《3》

③草むしりとマンリョウ(万両) 手当たり次第に生い茂る名もなき植物を掻き毟っていた。 名もなき草草とは心無い言い種になろう。 雑草と云う名の草はない。みな夫々立派な名前を持つが、その名前を知らないだけである。 自慢ではないが、せいぜいがドクダ…

うらなりの記《91》

母への想いー(6) 『母の思い出』 ⑥ しかし、やはり人目を避けた。恥ずかしい行為であることは幼き心にも判っていた。 こんなことがどれくらい続いたことだろうか。ある日の夕方わたしは母親にその行為の一部始終を観察されてしまっていた。 わが子の余り…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《88》

張良像 劉邦に仕えた軍師(?~紀元前186年) 夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(14) 夕雲の師匠小笠原源信斎 ⑨-2 【小笠原は入唐して異国の武士に交て日本流の神陰流兵法を指南して居住する中に、不慮に張良が末孫なりと云う者弟子の内に有って、委く尋…

老いぼれへぼ教師の回想記《91》

企業見学レポート=その11 5 サントリー木曽川プラント(2) 元祖鳥井信次郎氏仕込みの、「やってみなはれ」精神が脈々と迸っていたのです。 もはや、ここまで来れば経営機能も管理機能も出るべき場面がないのである。 すべからく、平等に作業職能を果…

老いぼれの弓事始め《3》

弓事始め ①坐り方 普通に坐るときには、まず左の足を退いて左膝を着き右膝が後に続くやり方で慣れていた。 処が弓道の礼法に従えば、右の足を先ず退いて右膝を着床しその膝を前方へ滑らせながら左の膝を添えるやり方を強いられた。 右足退くのも半足のみで…

老いぼれれの台湾行《5》

本物の頼山陽は 結構厳しきお方なのだが その5=台湾人名バスガイド 台北大学出のインテリガイドさんです。 記憶力抜群、ツアー参加者総計36名の姓名皆皆暗記済みとは恐れ入る。 瞬く間に顔と名前を合致させる驚くべき妙技である。 徹底したプロ意識には…

老いぼれの形稽古《8》

日本剣道形稽古心得覚書 太刀の部2本目 二本目では、振りかぶる折に切っ先が左拳より下がらないようにしなくてはならない。 打太刀の刀は水平もしくは太刀巾分切っ先が下がるのだという。 もちろん、左足引付的確に行うべし。 仕太刀は、小手を斬られる寸…

雑草園顛末記《2》

② 草むしりとアマガエル キンタが健在だった頃は、アマガエルたちが水辺へ遊びに来ていた。 孫たちも一緒になってよく遊んだ。 恐る恐る手にしていた孫も馴れるに従い誇らしげにスキンシップするようすをみなに見せびらかしていた。 ところが孫たちがいなく…

うらなりの記《90》

母への想いー(5) 『母の思い出』 ⑤ どうもこの女性の方が炊事を先に済ませる暗黙の了解があったらしい。 この推察は実はわたくしは、どうにもならない空腹感に責め苛まれよくよく台所に下りて辺りを物色したことから知りえた。わたしは彼女が炊事を済ま…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《87》

織田信長が四十歳のころ小笠原源信斎は生誕した その1574年に狩野永徳は洛中洛外図を世に出した 夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(13) 針谷夕雲の師匠 小笠原源信斎(玄信) 9-1【小笠原は・・・】 口語訳 上泉秀綱の弟子である同時に、この奥山休賀齋…

老いぼれへぼ教師の回想記《90》

企業見学レポート=その10 5 サントリー株式会社木曽川プラント(1) 明治村に近い清閑な田園地帯にとてもモダンな佇まいである。 昭和55年度に於ける総売上高6,899億円で昭和56年4月現在の従業員数4,305人から一人当たりの平均売上高を…

老いぼれの弓事始め《2》

初心者講習会に臨みて ② 短期集中講義が繰り広げられる。非常に盛り沢山な、それも事めずらしき新奇な専門用語を数多く受け賜わり度肝を抜かれてしまった。 なんといっても、その中で最も難儀に感じ入ったのが、基本中の基本である立ち居振る舞いに梃子摺り…

老いぼれの台湾行《4》

その4=台湾国の悲恋悲話 “雨の降る夜に 咲く花は 風に吹かれて ほろほろ落ちる“ テレサテンが熱唱する。 われらも口つさむ。 頼さんこと此の名ガイドは懸命にわれらに、この歌を歌唱指導された。 みな若かりし青春時代に立ち帰り、車内が一つになって和ん…

老いぼれへぼ剣士の形稽古《7》

日本剣道形稽古心得覚書 太刀の部1本目=その2 極力間合いを詰めた打太刀は、切っ先をして大きく弧を描くように、引き切りを敢行しなくてはならない。 その際に必ずや左足の引付を的確に行わねばならない。 まさに気剣体一致の技が要求されよう。 仕太刀…

雑草園顛末記《1》

キンタの墓 ①草むしりとキンタの墓 草むらに覆われていたキンタのお墓が現れた。 十年以上も以前のそのころ孫と同居していた。 背戸の手水鉢で金魚を飼っていた。 孫がお祭りの夜店で貰った二三センチの赤い金魚であった。 よく世話をしてくれた。慣れ親しん…

うらなりの記《89》

申し訳ない―イメージ画像 母への想いー(4) 『母の思い出』 ①とにかく我が家にとっては不本意ながらも、この女性との同居が強いられ玄関、台所、便所等は勿論共用と相成った。 特に台所では両者の気まずいさざ波が絶えることなく、常日頃軋轢となっていっ…

老いぼれへぼ剣士の夕雲考《86》

奥山休賀斎の佩刀ー銘が薬王寺 三河薬王寺派とある 夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(12) 上泉の直弟子 ⑧-3【戸田は加賀の國へ行て、如何なる故あつてか遂に戸田流の家を相續す、】 口語訳 富田勢源(戸田)は加賀の国へ行って、如何なる訳があつてか終いに…

老いぼれへぼ教師の回想記《89》

企業見学レポート=その9 4 新日鉄名古屋製鉄所(2) 次いで第一高炉と全連続式熱間圧延機(ホットストリップミル)の工場見学に至る。 工場内での異常高温を配慮され、差し向けの作業衣をもろ肌に着込み、ヘルメットに手袋着用と云う物物しい出で立ちで…

老いぼれの弓事始め《1》

初心者講習会に臨みて 新聞で初心者弓道教室開催の案内を見て応募してみた。 確たる動機はない。とにかく珍しがり 屋で何でもやってみたがり屋さんに過ぎ ない。 年齢の事もあるので恐らく外れるだろうと思いきや、3月半ば過ぎに市の弓道協会よりハガキが…