老いぼれへぼ剣士の夕雲考《86》

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            奥山休賀斎の佩刀ー銘が薬王寺 三河薬王寺派とある
 
夕雲流剣術書       小出切一雲 誌(12)
 
上泉の直弟子
 
-3【戸田は加賀の國へ行て、如何なる故あつてか遂に戸田流の家を相續す、】
 
            口語訳
 
富田勢源(戸田)は加賀の国へ行って、如何なる訳があつてか終いには中條流の流れを汲む戸田流の家を相続しました。
勢源自身よりも門下の中で天才的剣客で名の知れた佐々木小次郎の方が聞こえが好いのです。また、又弟子として彼の伊藤一刀齋が後世に於いて輩出すのである。
なお、中條流と一刀流 ( から )みについては本旨 ( ほんし )ではないので一雲も等閑に付したのであろう。
原文に掲載されないことながら、秀綱の上州時代からの高弟に奥山休賀齋がいて家康に新陰流の奥義を指南したのは柳生宗厳よりも先のことでありました。
家康に対し七年間にわたる指南であったと言われる。
もっとも休賀齋は秀綱の新陰流を神影流と名称を改めている。新陰流第三代目の流祖となる人なのです。