2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

老いのひとこと

野田山に倒れた老大木の根元に寄り添うように大群生する名もなき植物、開花を待つのもじれったい。 逸る気を抑えきれずに数本ほど根株ごと採取し自然史博物館へ飛び込んだ。 まさに渡りに船の通り此処では困りごとは瞬時に吹っ飛ぶのです。 温厚な眼差しの老…

老いのひとこと

体操を終えての帰り道、ガマ君の轢死体に出くわした。 ひき逃げの現場を見たわけではないが既に即死の状態で圧死している。 目を逸らし見て見ぬ振りをしてやり過ごそうとも思ったが変な義侠心から亡き骸を城谷川に葬り水葬にて供養した。 さすがに素手では触…

老いのひとこと

金沢に住んでいながら「額谷カネカヤブ遺跡」のことなど全く聞いたこともなかった。 何も知らないことに気付けばまだ増しな方かもしれない。 学ぶことはよいことに決まっている。 早速、埋蔵文化財センターへすっ飛んだ。 大変親切に対応してくだされ研究紀…

老いのひとこと

何ごとも思い通りには行かないものです。 せめて、粘土細工だけは意のままになってくれるものと思いきや今回は物の見事にあてが外れました。 精魂込めて「面がね」作りに精を出す。 細い紐を宛がってドベでくっ付ける仕事が延々とつづく。 手が震え目がしょ…

老いのひとこと

「灯台下暗し」とはよく言ったものです。 日頃お世話お厄介になる額谷ふれあい体育館のフロアの真下に「額谷カネカヤブ遺跡」という古代遺跡があったとは此れ露知らず誠に以って不甲斐なくも恥ずかしい限りなのです。 恐れ多くも貴重な文化財の真上を土足で…

老いのひとこと

野田山の霊に誘われたかのように自ずと足が向く。 ウワミゾザクラ(上溝桜)は未だ時季はやくつぼみはかたい。 一昨年の倒木樹には見事に脇芽が吹き出し瑞々しく生き返ってくれた。 根元には名も知れぬ野草が所狭しと大群生する。 開花してから図鑑で調べる…

老いのひとこと

時間を持て余し退屈すると額谷の山の中をうろつき廻ったりする。 例の珪化木の一大発見にも繋がったのだがその林道わきの斜面をよじ登って嘗て其処がリンゴ園であったという箇所まで上り詰めてみた。 眼下には市街地が開けちょっとした見晴台にもなろう。 風…

老いのひとこと

三つ目の船形深鉢に挑む。 お手本になるひな形に模して懸命に挑むが前の二作共に見るも無残な結果に終わる。 地団駄を踏む思いで三度目の挑戦になる。 前作の同じ轍を踏まぬように慎重の上に慎重を重ねるように事を進める。 計算通りに前を読む段取りが又し…

ニュージーランド行き≪9≫

ニュージランド紀行 二〇〇六年三月二十六日~四月二日 丁度10年前のこの時期だったのか。 10年むかしの古い旅日記を千切っては小出しにしてパラパラ振り撒きました。 どうもこれが最終回です。 いくら幼稚な詠みであってもいいのです。 わたしたちにと…

1老いのひとこと

週刊文春は時折政界スキャンダルをスパッと引っこ抜く。 ドキッとしたりスカッとしたりニタリとしたり或るひはハッしたりさせられるのだが飽く迄も新聞の広告欄を見ての事です。 先日は政界異変の記事には関係のないハッとしドキッとした新聞広告をみつけま…

老いのひとこと

無断掲載 余震が未だ頻発するさ中にも拘らずTPP審議を再開しテレビ放映をするというので慌ててスイッチを入れた。 處がどうしたことか、やはり地震への対応策ばかりではありませんか。 此の未曽有の災害をもたらす渦中のさ中何故以ってTPPを急ぐのかと…

老いのひとこと

鶴寿園の宗教講座が面白い。 今回は浄土真宗のお坊さんのお話しでした。 堅苦しいお説教かと思いきや柔らかい世間話のようなご講話でした。 メダカの飼育体験談で寒空に曝すのも不憫かと屋内の温かい部屋に置いてみたのだがこれが大失敗で病に侵され数を減ら…

老いのひとこと

春の日差しが燦々と降りそそぐ。 体育館の窓越しから、朝日が煌々とフロアに照り返す。 無人の館に身を置き悠然と走禅を試みる。 身も心も引き締まり充実の一時である。 もっぱら陽だまりを好んで木の温もりを感触する。 体育館には赤線、青線、黄線、緑線の…

老いのひとこと

60年もむかしのこと、最初の赴任地は僻地3級の分教場であった。 通称「後谷」と称した旧菊水町でした。 三か年間、山の子らとともに苦楽を共にした。 スキーで骨折し村人総掛かりで市民病院まで担ぎ込まれたことがあった。 わが人生で最大の恩義を痛感さ…

老いのひとこと

掛かり付けの歯医者さんから定期検診のハガキが舞い込む。 歯のお掃除だという。 お掃除をするだけの歯があれば大いに喜ばねばなりません。 掃除をしてくださる女医さんはお見事です、未だに24本も残ってますよと褒められる。 日頃どのようなお手入れを為…

老いのひとこと

妙典寺の庫裡に潜んで手に入れた史料は数多くあったが中でも飛びっきり得難き獲物が津田近三の住まいの地番でした。 金沢市穴水町2番丁2番地とある。 ただ問題は金沢に市制が敷かれるのが明治22年なので此の史料は比較的どころか随分と新し過ぎはしまい…

老いのひとこと

また一つの通過点をやり過ごした 五年越しでやっと地球を一周した 五年がかりの地球一周の旅を四万人の人たちがちゃんと見届けてくれた 有り難いことではないか 嬉しいではないか 励みになるではないか さらに続く 新たなる四万キロの旅の門出を祝ってくれた…

老いのひとこと

妙典寺の庫裡で紐解いた古き記録簿は実に莫大な量であった。 だからペラペラと捲ったのは極々一部分に過ぎなかろう。 それもあたふたと拾い読みしたにすぎない。 なので充分なる確証は取れてはいないことは否めない。 従って此処に云う和三郎→十之進→近三の…

老いのひとこと

これは仮説にすぎない、「津田近三」の実父は「津田清三郎近猶」で祖父は「津田金太郎近義」というお方になり、片や養父は「津田和三郎近知」で養祖父が「津田平左衛門近英」というお方と相成ります。 養祖父は始めは「和三郎」と称したらしいので「近三」に…

老いのひとこと

おのれの気持ちに忠実たれ。 おのれの魂を裏切ってはいけません。 良かれと思はば信ずる道を突き進みなさい。 それでもなお逡巡する弱気を抑え仰々しくも清水の舞台から飛び降りる気で決行に及んだ。 本日の午後の一時、大額の国道筋で「サイレントスタンデ…

老いのひとこと

陶芸教室の進級式が執り行われました。 進級生11名は決意を新たに新3年生としてスタートを切りました。 校長先生の訓示の言葉に 「物言わぬ土に生気を吹き込み生き返らせて、そして頬ずりするような気持ちで愛おしく語り掛けてください」 「きっと物言わ…

老いのひとこと

執念深く「津田近三」にこだわり続けるのです。 血縁関係はないに等しい無縁の間柄ではあるがどうしたことか不思議にも津田家本家筋に引き付けられてしまうのです。 その魔力の依って来る原因は此の「近三」なる人物は津田家本家と分家の橋渡し的存在ではな…

老いのひとこと

わたしの母方のルーツを辿れば加賀藩5代藩主前田綱紀に仕えたという津田一幽近光にまで至る。 一幽近光には四人の息子がいて長男平太夫近智は津田家本家を継ぎ次男市郎左衛門は分家として代々営々と引き継ぎ今日までその家筋は存続する。 わが母方は此の次…

老いのひとこと

津田近三の命日は明治22年12月30日であることが判った。 享年何歳であったかはわからなかった。 ただ、少なくとも明治4年5年の頃は間違いなく存命中になる。 明治4年の廃藩置県で加賀藩は金沢県となったのだが県庁所在地を県の中央に位置する「美川…

老いのひとこと

つい先日のこと、画期的な情報を一つ入手したのです。 依って、わたしの母方「津田家」のルーツのほゞ全容が漸くにて掴むことができたことになる。 妙典寺に鎮座する物々しき自然石の墓碑「津田半山君」の墓の主がものの見事に解明したことになる。 妙典寺…

老いのひとこと

拙宅二階の小窓より 富樫一族の居城、高尾城址のさくらは早や満開である。 急き立てられるように今年も登ってきた。 標高が190ⅿだが登山道は整備され凡そ300段の階段がつづく。 随所に腰掛が置かれ眼下には加賀百万石の城下が一望できる。 吹き上がる…

老いのひとこと

桜の花だよりに浮かれたのかそれともとうとう放浪癖の足が地に着いてしまったのかよくは分からないのだが今日もママチャリ愛車にまたがり漕ぎ出ずるわたしなのです。 「大鋸( おおが)コレクション」を所蔵する県立歴史博物館へは通い慣れた道のりでありまし…

老いのひとこと

この際、又いろいろ勉強いたしました。 わが終生の憩いの場でもある額谷地区に額東神社がある。 この神社の境内に小さな立札が建つ。 日置(へき)謙に師事したという郷土史家大鋸 ( おおが )彦太郎氏のコレクションの一つにとても面白い「白山詣双六 ( はくさ…

老いぼれの夕雲考《123》

夕雲流剣術書 小出切一雲 誌(49) 人心を知らぬ人たちは畜生にも劣る 【此迷魂輪廻せば、いかやうの縁に引れて又立歸り生を受けまじきものにも在らず、佛法輪廻の説法あるも至理たり、かようの人の類を書くには、人面獣心などと聞よく云置たれども、夕雲…

老いのひとこと

額谷地区は聞くところに依れば「珪化木」の埋蔵地として知る人ぞ知る存在であるらしい。 物言わぬ岩石には全くと言ってよいほど興味も関心もなかったのだからそんな事は知るはずもなかろう。 それがどうしたことか行き成りその植物化石に飛び付きご執心の様…