老いのひとこと

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執念深く「津田近三」にこだわり続けるのです。


血縁関係はないに等しい無縁の間柄ではあるがどうしたことか不思議にも津田家本家筋に引き付けられてしまうのです。


その魔力の依って来る原因は此の「近三」なる人物は津田家本家と分家の橋渡し的存在ではなかろうかと勘繰られるからなのです。


事もあろうに本家の「近三」が何故分家の「近吾」の存在を出し抜いてまでして僭越にも分家の墓の世話を焼くのだろうか。


どうも「近三」と「近吾」は腹違いの兄弟ではありはしまいか。


少なくとも明確に判明することは父「清三郎近猶」が39歳にして遠藤家からと嫁いだ「鉚」との間に儲けた弘化2年誕生の「近吾」が存在することだけなのだ。


あの当時なので39歳初婚は考え難かろう。


だとすれば「近吾」の先に不詳の女に「近三」を儲けていても何の不思議もない。


此の二人が腹違いの兄弟だとみられても不思議ではない。


 


 


併せて本家「和三郎」には実子「十之進」がいるにもかかわらず何故「近三」が養子に入ったのか。


これも確かに謎だ。


「十之進」が明治2年時点には生存していた確証は掴めたのだがその直後に不慮の死を遂げたのだろうか。


そうとしか考えられない。


「近三」は間違いなく「十之進」の妻並びに二人の子どものお墓の世話をしているのです。


のみならず此の「近三」は事もあろうに「清三郎」の三男、名前不詳の墓の墓主でもある。


「清三郎」の三男とは即ち自分の兄弟に他ならず益々以て興味津々面白い限りではないか。


「近三」と「近吾」に挟まれる「伴四郎」も共々三四五と数字が並ぶ三兄弟と相成ろう。


更に此の「近三」は「主馬」の墓の面倒にまで及ぶとすればまさに津田一族を丸めて取り仕切る頭領的存在であったのかも知れない。