恣意的に邪推するのだが津田分家の血を引く十之進、近三の両名は津田本家とはいえ津田の血統ではない今枝・堀両家の血筋を引き継ぐことに無言の抵抗を示した。
津田家の矜持を貫いた気骨ある人物だとわたしは高く評したい。
但し、此の近三は飽くまでも表向きの本意は養父和三郎への忠義忠誠心をあからさまにすることだった。
近三は義父を半山君と仰ぎ巌の如き自然石で墓柱を建てて葬った。
また碑文には養父の業績を称え惜別の意を刻んだのです。
即ち、此処に近三なる人物の複雑にして厳しきジレンマをわたしは感じ取る。
近三は何故かしら我が身の足跡を消し去ったまま此の世におさらばして逝った。
此の津田半山君之墓は妙典寺に今も鎮座する。
そんな意味からして清三郎近猷と金太郎近義の墓仕舞いを断行するなんて在り得ぬ愚挙で在り御先祖の霊への冒涜以外の何物でもない。
返す返すも遺恨の念を新たに涙いたすばかりだ。