老いのひとこと③

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津田近三の住所は金沢市穴水町2番丁2番地、生年は不詳で死亡は明治22年(1889年)12月30日、妙典寺にて葬られる。

津田近吾は住所は金沢市馬場3番丁25番地、弘化2年(1845年)2月2日に誕生し明治27年(1894年)8月11日に亡くなっている。

同じく妙典寺にて葬られた。

 

此の両人の父親は共に清三郎近猷に当たるが母親は夫々異なるのである。

近三の母親は不詳にして近吾の母親は外でもない鉚になる。

鉚は近吾生誕後14日にして他界した。

我が実母にすれば近吾は祖父になり近三は祖父の兄に、鉚は外でもない祖母に当たるのである。

 

妙典寺の先代住職がご存命の折、FUNADA氏の手助けを得て過去帳や墓籍簿の閲覧に与かったのです。

ただ過去帳は判読不能に付き断念し専ら墓籍簿をあさった。

膨大なる史料から近三、近吾の両人の記名箇所を虱潰しに捜し捲った。

30点以上の収穫を得た、取り分け近三に関わる物件が目立った。

津田家本家の当主和三郎の養子らしく近三は幅広く津田家一族の棟梁的存在として君臨したのです。

近吾が属する分家筋の墓守までも兄近三が買って出ている感を強めるばかりなのす。

決して兄弟間の確執が在ったとは思いたくはない。

恐らくは近吾は律儀にも兄貴の顔を立てたのでありましょう。

あれから凡そ百五十年の年月を経て、近吾の血筋は細々ながらも生き永らえるに反し近三の在り処は穴水町2番丁2番地より途絶えてしまった。

幾ら情報化時代とは言え最早詮索する手立てはないに等しい。